クローズスタンス

 日本人が世界の頂点を垣間見た1970年代後半。体格、そしてパワーで劣る者が頂点に近づこうとした時、そこに「技」があったのは事実です。同じ強さの弓を使う者同士が競う時には技すらも力の中に存在し、技だけで力を超えることはできないでしょう。しかし、自分の力と技に見合った道具を使い、精緻の技術を持てばパワーを制することも夢ではありません。
 「日本人の体格的マイナスをカバーするべく、日本人に合った弓を作り、日本人によって世界の頂点を目指す。」 これが日本のアーチェリーの原点でした。すべてはここから始まったのです。そして、技術における原点は「正十字」という射形でした。和弓からの伝承もあったでしょうが、それ以上に影響を与えたのはレイ・ロジャースとハーディー・ワードの圧倒的なパワーでした。それは理想に対する憧憬を確信に変えるものでした。
 1972年ミュンヘンオリンピック。52年振りにアーチェリー競技がオリンピックの舞台に返り咲いたこの大会でジョン・ウイリアムスは前年の世界チャンピオンに引き続いて、近代オリンピック初のゴールドメダリストの栄冠に輝いたのです。この時の世界記録でもある大記録1268点+1260点はアルミアローであるばかりか、ダクロンストリングによるものでした。
 彼を正十字の手本として練習に励んだアーチャーも多いでしょう。
 確かに何の説明も必要としない美しい射ち方です。そして彼と並ぶ偉大なアーチャー、ダレル・ペイスが次に登場するまで「ストレートスタンス」こそが基本であり、ジョン・ウイリアムスがストレートスタンスであることを疑うアーチャーはいなかったはずです。
 ところが、ここに一枚の秘蔵写真(?)があります。ミュンヘンでの一枚のスナップです。
 実はジョン・ウイリアムスは「クローズスタンス」だったのです。
 ダレル・ペイス、リック・マッキニー、そしてジェイ・バーズが登場してから、スタンスは「ストレートかオープンか?」のふたつの選択肢でのみ語られてきました。しかし「クローズ」も選択肢として存在することを忘れてはならないでしょう。
 このような写真が公開されず、また彼が完璧なストレートスタンスであると語られてきたのには理由があります。1972年当時、ちょうどダレル・ペイスによって1975年以降にオープンスタンスが「ブーム」になったような現象が起こることを意識的に避けようとした配慮があったのです。そのお陰で日本のアーチェリーは確実に世界への第一歩を歩み出したのは事実でしょう。
 この世界に「もしも」はないのですが、ジョン・ウイリアムスがカーボンリムとカーボンアロー、そしてポリエチレンストリングを使っていたなら今の1370点は越えたでしょう。それくらい当時の1268点は凄かったのです。なつかしいでしょう。ただし、彼がいつもクローズであった訳ではありません。彼のシューティングフォームのイメージを組み立てるテクニックのひとつとして、スタンスの変更も利用していたのです。完璧なストレートスタンスの時の彼もいます。我々の頭の中にも・・・・。

copyright (c) 2010 @‐rchery.com  All Rights Reserved.
I love Archery