シューティングマシンとテストシューター余話

 ちょっと古い写真を見つけました。アメリカのアーチェリー(ハンティング?)雑誌「BOW&ARROW」( May-June 1970 )からです。
 先のヤマハのシューティングマシンから5年ほど前に作られたシューティングマシンです。どこのマシンかというと、これがEASTON社なのです。EASTONは今でこそ税金対策からソルトレイク市に移転していますが、もともとはロサンゼルスのVan Nuys に長年本社を置いていました。ここの新しい工場の駐車場に引っ張り出してきた1970年当時のマシンということです。
 当時は矢のメーカーですから、弓ではなくアルミシャフトとハネのピッチ角度のテストのようです。ハネもそろそろプラバネ(プラスチック製のハードベイン)が出だした時期ですが、まだ鳥羽根を使っています。
 そのためかマシンも電動ではなく、弓のデータを取れるようなものでもありません。単なる発射装置といった感じで的中位置からの測定です。
 現在では当然こんな旧式なマシンを使うメーカーはないでしょうが、いくら電動になり各種データ測定装置が付加されたとしても、昔も今もシューティングマシンの基本はこれしかないのです。しかし逆に言えば、唯一進歩できない、変われない部分があります。それがストリングをフック(引っ掛けて引いてくる)する構造であり、そのリリース(ストリングを解き放す)方法です。
 例えば、押し手は完璧に止まることが前提でよいでしょう。ただしリリース時、弓はフリーな状態に置かれる必要があります。そのためグリップ部分は単なる支えとして作られ、ヤマハのマシンであればゴムバンドでハンドルを支えることで、矢を発射した弓は自由に動きます。
 ところが問題は引き手側です。マシンゆえに、フィンガーアーチャーの指の動きをそのまま再現することができない、不可能なのです。今も昔も構造は基本的にリリーサーであり、動作にはコンパウンドアーチャーとリカーブアーチャーの違いが存在します。シューティングマシンにはアーチャーズパラドックスもFuzzy(曖昧)さもありません。完璧すぎて、リカーブアーチャーの現実を再現したくてもできないのです。このことだけは知っておきましょう。
 ところで、このマシンを操る人物に気付きましたか?!
 現在のEASTON社長、そしてなぜかFITA(国際アーチェリー連盟)会長Mr.Jim(James) Easton なのです。
 我々が知るFITA会長はイギリスのMrs Frith の時代からです。(1961〜77年) FITAの歴史上唯一の女性会長でした。その後継がイタリアのMr.Ruscone。(1977〜89年) そして1989年からEaston の時代となり、現在に至っています。
 彼の父Doug Eastonが1922年に最初の木製矢を作り、その後のアルミ矢はハンティングのみならず競技アーチェリーの世界を制覇、独占。その後はスポーツ用品のみならずあらゆる製品にアルミ素材を供給し、世界有数の企業となったEASTON社。そんな会社を1970年代に引き継いだJimは唯一屈辱を味わったBeman社の買収をはじめ、Hoyt社も傘下に収め、彼のアーチェリービジネスはアメリカのみならず世界に拡大していきます。
 そして1989年、そんな実績を背景に念願の会長になってからの競技アーチェリーの世界はコンパウンド、プロフェッショナル、オリンピックラウンド等などの導入から始まり、それまで製品の世界だけであったものが、良くも悪くも競技を含めたアーチェリー全体を大きく商業ベースにシフトさせたのです。
 FITAといえども企業同様にトップでその姿が決まります。個人的な会長の印象を一言で言うなら、Frith=「平和」、Ruscone=「発展」、そしてEaston=「商売」でしょうか。34歳、若き日のJim Eastonでした。

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