75TH ANNIVERSARY

 棘は真綿でくるむようにはしてはいるのですが、これだけは言わせてください。
 
 アーチェリーを始めたのは、1969年です。日本のアーチェリーが和弓から独立して、初めて世界選手権に参加した年です。今あるアーチェリーショップのほとんどはまだありません。阪本さんが「雑誌アーチェリー」を創刊するのは1971年です。まだまだマイナーな世界でしたが、今から思えばすべてのアーチャーが情熱と草の根と手弁当で必死に普及と強化を目指していた素晴らしい時代でした。しかし当時の高校生に分かっていたのは、世界には勝てないという漠然とした思いでした。
 その時のチャンピオンはHardy WardでありRay Rogersでした。それを知ったのは丸善で年間購読した「Archery World」のお陰です。John WilliamsやDarrell Paceが出てくるのは、もう少し後です。しかし、彼らはすべてHOYTを使っていました。
 HOYTに憧れました。1969年冬、親のすねをかじってHOYT 4PMを手に入れました。ローズウッドの黒のHOYTです。1974年、HOYT初のテイクダウンT/D2を手に入れるまでに11本のHOYTのワンピースボウを買い替えたのを記憶しています。HOYTは1976年までずっと愛用しました。誰よりも練習しました。何よりもHOYTを信頼しました。
 アマチュアという言葉が歴然と存在した時代です。そんな中にあって、HOYTは本当に強かったのです。本当に素晴らしい弓だったのです。名実ともに世界一の弓でした。
 その弓を作っていたのがEarl Hoyt Jr.でした。HOYTおじさんです。HOYTおばさんは往年のトップアーチャーAnn Weberです。初めて彼らに会ったのは1976年全米選手権です。感動したことを覚えています。
HOYTのポリシーのひとつに、彼らは決してプロを雇いませんでした。世界の頂点に立った人間であってもそうでした。RayもHardyもJohnもDarrellも、金でHOYTを使ったのではありません。当時、勝つにはHOYTが必要な道具であり、それ以上にHOYTおじさんをすべてのアーチャーが尊敬し、愛していたのです。弓は身体の一部であり、作る側と使う側は信頼で結ばれていました。
 1973年、初めての世界選手権はメープルの白HOYTで出場しました。12位です。1975年、中本さんの世界記録であった1251点の日本記録を4年ぶりに21点更新したのは、HOYT T/D2でです。何度も日本記録を出し、何度も優勝しました。
 1976年社会人1年、それでもまだヤマハの本気を知りませんでした。ヤマハを使ってみないかと頼まれました。練習でなら射ってみてあげてもいいと言いました。一週間後に黄色い弓が届き、一週間で自己の記録をすべて塗り替えました。1300点を切ることはありませんでした。
 1977年、ヤマハを使って世界で2等賞になった後、ヤマハに転職しました。この大会の1等賞がRick Mckinneyです。彼もヤマハを使い初めて世界チャンピオンになりました。しかしそれでもまだヤマハは名実ともに世界の頂点に登りつめたわけではありません。
 1986年までヤマハでアーチェリーの仕事をしました。DarrellとRickに勝つことを目指しました。それはヤマハにとってもHOYTを超えることにほかなりませんでした。弓だけでなく、すべてにおいてHOYTは目標でした。当然ヤマハでも多くのHOYTをテストしました。そして1982年、ヤマハは「EX」でHOYTを抜き去ります。しかし1983年の「GM」を最後にHOYTはEASTONに買収され、HOYTおじさんの手を離れ、そして2002年ヤマハはアーチェリーの世界から完全撤退するのです。
 アーチェリーのことは知っています。弓のことも、業界のことも、世界のことも。良い弓と悪い弓の区別も付きます。HOYTおじさんも知っています。彼が築いてきた歴史も知っています。本気でHOYTと戦ってきました。EASTONがH・O・Y・Tの四文字を金で買っても、Earlの精神や哲学、そしてアーチェリーに対する愛情を引き継がなかったことも知っています。後発EASTONブランドではアメリカ国内で戦えないことも知っています。
 そして商売が何たるかも知っています。そのうえで昨年から始まり来年を目指す「75TH ANNIVERSARY」の戦略だけはどうしても納得がいかないのです。
 昔を知らないアーチャーが今のHOYTの弓をどんな思いで購入しようが、それは構いません。どんな弓をHOYTが作っても勝手です。どんな弓でもHOYTと書かれていることで、それを信じるのは買う側の問題です。コンパウンドで言うなら、それが発明されて35年しか経っていません。HOYTがコンパウンドに着手したのは遥か後です。
 しかし、HOYTおじさんが生きているならともかく、彼は2001年に亡くなったのです。HOYTおばさんも一線を退きました。どんな契約が存在するのかは知りませんが、今の弓がEarl Hoyt Jr.が考え、作ったというような錯覚を与える戦略だけは許せないのです。なぜならもしそこにEarl Hoyt Jr.の精神が受け継がれているなら、決してあんな弓は作らないと確信するからです。だから誰かがこのことだけははっきり言っておかないと、あまりにもHOYTおじさんとHOYTおばさんが可哀想です。
 
 昔のHOYTと今のHOYTは名前が同じであっても、まったく違うブランドです。今のHOYTは、Earl Hoyt Jr.の弓ではありません。それだけは知っておいてください。間違わないでください。HOYTの信奉者の一人として、断言します。お願いします!

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