35TH ANNIVERSARY

 さも75年前から一貫してリカーブボウを作り続けているように、そして最初からコンパウンドボウを作っているように思わせる宣伝をしているメーカーがあります。(そう思うのは私だけかもしれません。そうだったら、ごめんなさい。) しかし、そのメーカーは買い取ったブランド名の弓が75年前にスタートした、それだけのことです。本当は歴史もノウハウもない新参者だからこそ、そんな戦略を巡らせなければならないのです。(アメリカ人の多くは、そのことをよく知っていますが。)
 では、あなたはコンパウンドボウ(複数の滑車あるいはカムを使い、ホールディング時には少ないエネルギーで保持しているにもかかわらず、非常に大きなエネルギーを矢に与えることの出来る魔法のような弓)が、いつ発明されたかを知っていますか? そして誰が発明したかを知っていますか??!

 アーチェリー界における20世紀最大の発明は、1960年代中頃アメリカの Holless Wilbur Allen によってなされたのです。
 そしてこの特許は1969年12月30日、成立しています。記念すべき日です。

 人類の歴史とともに連綿と歩んできた弓の歴史に、新たなページが追加されたのです。そして我々が想像する以上のスピードで、この滑車付きの弓はアメリカ国内に拡散し、世界へと伝播されます。
 右の広告は、1973年4月号「BOW & ARROW」誌に載ったものです。しかし、この頃のアーチェリー専門誌にコンパウンドボウを見ることは、皆無といっても過言でありません。そして下の写真は、1975〜76年頃に雑誌に掲載されていたALLEN コンパウンドボウの1ページ広告。この頃になると多くのコンパウンドボウメーカーや関連アクセサリーが登場します。
 実際1972年には、Las Vegas Shoot にUnlimited 部門が創設されていますが、リカーブボウとコンパウンドボウがその地位を逆転するのは、1975年頃からです。そして先の新参者が参入したのは、これより後のことです。
 コンパウンドボウの発明と驚異的発展と進歩は、たった35年間の出来事なのです。

 Allen の取得した特許は、コンパウンドボウの基本特許ともいえる中心部分です。そしてそれが公開された瞬間から数々の新たな発明がなされ、周辺特許もぞくぞくと申請されたのです。そのため、記念日から25年が経過し、すでに基本特許がオープンになった現在においても最新のコンパウンドボウは、ほとんどすべてが周辺特許において保護されているという現実を知らなければなりません。なぜなら、1980年中頃にヤマハが発表したチンケなコンパウンドボウ(EXのハンドルを使用した)や、現在の韓国製コンパウンドボウがモノにならない理由はそこにあるからです。目先の特許を買い取っても、それが製品になる時にはすでに陳腐な時代遅れの技術になっているのです。コンパウンドは最先端の機械式弓だからこそ、新参者やノウハウのないメーカーには作れません。後発メーカーがブランド名に頼ったり、自社の数少ない特許であるスプリットリムやカム&1/2に固執して宣伝する理由もここにあるのです。
 そしてもうひとつ重要な背景があります。コンパウンドボウはアメリカ人の合理主義が生み出した大発明です。軽いホールディングウエイトにも関わらず、莫大なエネルギーを矢に与え発射できます。このメリットを生かせるのは、ターゲットよりもハンティングというフィールドなのです。だからこそ発展拡大し続けています。われわれのターゲットというフィールドでコンパウンドを考えていると、間違いを犯します。

 最初、Allen の基本特許でコンパウンドボウを作ることが許されたのは、5つの会社でした。そしてその時からずっと作り続けているのは、「PSE」(Precision Shooting Equipment) 1社のみです。
 PSE の社長である Pete Shepley は1970年、自分のアイデアを加え最初のコンパウンドボウをインディアナ州の試合で発表しました。そしてその1週間で彼は200の注文を受け、次の2週間で全米各地から700の注文を受けたのです。それが翌年の PSE 設立へとつながりました。

 ということで、もしあなたがアーチャーなら、この記念すべき年くらいは知っておきましょう。ちょうど管理人がアーチェリーを始めたのも、同じ1969年です。。。。

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