ヘタクソにしたことの一考察

 誰でも、どんな射ち方でも、どんな道具でも、矢は70mを飛んでしまう、飛んでくれる。
 このことがカン違い、錯覚の始まりであり、ヘタクソになったことの原点であるとするなら、責任は当然指導者にもあります。
 例えば最近、趣味のアーチェリーは別にして、やたらと長い弓(ボウレングス)を使わせる指導者が多い現実です。男子であれば背(身長)より高い弓を、女子であれば26インチそこそこの矢に66インチの弓を平気で使わせるのです。170センチ以下の男子に68インチの弓を使わすのも、同じようなことです。そんな弓でアルミアローを使用したとして、90mを完全に射程に収め70mでゴールドを完全に捉えられますか?
 ところが現状、カーボンアローならゴールドを捉える以前に90mでも100mでも飛んでしまうのです。リリースをひっかけてもです。だからこそ弓の性能など考慮することなく、リカーブも伸びない長い弓を平気で使わせられるのです。我々は矢を的に乗せる競技をしているのではありません。まぐれで12本がゴールドに飛ぶことを競っているのでもありません。確実に10点の真ん中を捉えたいなら、弓の性能も選ぶべきであり、それを発揮できる状態を指導者は与えなければならないのです。
 こういうと長い弓は薬指もしっかり掛かりフォームが安定する、という指導者がいるでしょう。これは昔より低ポンドの弓を使わせるようになったことへの説明と同じです。100%それを否定はしません。しかし、すべての矢が的に刺さる、という現実に甘えているのではありませんか。もし矢が的まで届かなければ安定も試合もないのです。ところがこの甘えの中での指導は、的に矢は刺さるが「当たらない」、という次に来る現実の前に出てくるのは高ポンドへの挑戦でも、技術の指導や道具の知識伝達でもないのです。
 ちょっと美しい写真を見つけました。1973年グルノーブル世界選手権、当時アメリカと並ぶ世界の双璧ソ連の女子チームです。この大会でもアメリカを抑え団体優勝。左のフルドローは前回ヨーク世界選手権チャンピオンGapchenkoです。薬指のしっかり掛かったフォームもそうですが、ここではリムの美しいカーブを見てください。
 このカーブこそが弓の性能を裏付けると言っても過言ではないのです。リカーブ部分まで伸びた無理のない美しい曲線です。近年基本性能としてのリムの曲がりに不自然さがあるリム、あるいはハンドル側でリムの角度を操作できるようになってからの無理のあるセッティングは別として、リカーブまで美しく伸びたリム全体で、矢を射ち出す状態を作っているアーチャーはどれほどいるのでしょう。弓本来の性能を100%発揮するチューニングです。
 すべてが的までは飛ぶ。しかし当たらない。それは弓の長さ強さでも、矢飛びのチューニングでも、本人の技術でもなく、ダース3万円の矢より5万円の矢の方が当たり、7万円より20万円の弓の方が当たるという短絡的な指導(?)です。5万円の矢がオリンピックで勝利することは知っています。しかし試合に行って何十本もの5万円の矢が地面に刺さっていることも知っています。20万円の弓を使う600点が出ないアーチャーを試合場で10人探し出すことは簡単にできます。そのことを教えることこそが、指導の始まりではありませんか。大金持ちならともかく、高校生や大学生の初心者に600点のために20数万円の弓具を薦め、アルバイトに専念させることに何の意味があるのでしょうか。
この過ちの結果が才能ある高校生や大学生からアーチェリーの機会と継続の夢を奪い、日本のアーチャーをヘタクソにしたのです。
 
 そしてもうひとつ、弓具メーカーの責任も忘れてはなりません。どんな弓でも70mくらいは飛んでしまう(当たることとは違います)状況の中で、3万円より5万円、7万円より20万円の方が性能、品質で上回るという常識はすでに裏切られています。近年、販売価格(ユーザー価格)と生産コストが正比例しない、あるいは大きくかけ離れた商品構成、価格設定が見受けられるのです。どれもが70mくらいは飛ぶ状況の中で、目先のデザインや形状、そしてメーカーの都合だけが先行し、安い物より高い物の方が優れるという常識がアーチェリーの世界では通用しなくなっているのです。にもかかわらず、何と高級(モドキ)商品崇拝主義の指導者が多いことでしょう。弘法筆を選ばず、とは言いません。弘法ならちゃんとした筆を選ぶべきです、価格に見合った性能の弓具をです。これは売る側、買う側双方の責任です。
 カーボンアローが一般化するまでのアーチェリーの世界は、ちょうど自動車のF1レースに似ていました。人馬一体。90mという「限界点」で、それを乗り越えるには人も道具も最高のパフォーマンスが求められました。HOYTもヤマハもこの限界点を超える試行錯誤の中で知恵を出し、しのぎを削り、新素材の開発や新たな技術による飛距離、安定性、耐久性、そして的中性といった「性能」を求めていたのです。ところがある日突然、勝負は70m、それも30分で決めるとルールが変更されたのです。そうなればF1レースに普通の乗用車がレーサー気分で参戦してくるのです。挙句は車検切れの車までもが外観だけ替えての参加です。限界点の内側で、メーカーは最終目標である的中性能向上を忘れ、儲けとシェア拡大だけに奔走しだしました。
 それが証拠に近年の弓の性能低下はあまりにもひどすぎます。反発性能の向上による耐久性低下を認めるものではありませんが、そんな基本性能も有しないリムに折損やはがれが一般化しています。ハンドルのねじれや曲がりは日常茶飯事です。(それらが安い弓なら、我慢も納得もいくのですが。) そして矢速の低下はアーチャーが知らない間にリムを短くしたり、ストリングハイトを下げるといった子供だましの手法でしのいでいるのです。
 飛んでしまうことに加えてのマッチ化と70m化は競技の世界に限らず、アーチェリーの世界そのものに影響を及ぼしています。それが時代の流れ、といえばそうなのでしょう。しかし道具が変わり、競技がいかに変わろうとも、そこで勝ち続けるには絶対に必要なモノがあるのです。そのことをヘタクソになった原点から考えるのも必要ではありませんか。趣味のアーチェリーで大金持ちならともかく、、、、

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