奇妙なルール 「No!」と言える日本

■書き込みもあったりするので、確認しました。「3射1分30秒」へのルール変更について、先月FITAから7月から実施するとの連絡が全ア連に入ったのは事実です。しかし数日後に取り消しの連絡が来たようです。結論から言うと、6月のFITAの会議で検討されるとのことで、現在はまったくの「白紙」です。ここからは個人的な思いですが、だいたいの展開が想像できるので、、、ですが、一部の方はいつも世界で通用するようにといったような大義名分を振りかざします。国体の70m化や今年突然沸き起こったリーグ戦のルール変更もそうです。しかし全米選手権がシングルラウンドにこだわったように、なぜローカル試合や世界選手権選考会と全日本選手権を除いて、異なる運営があってはだめなのでしょうか??! 1分半に3射は選手ならわかると思いますが、1回引き戻せば後は射つしかないのです。これでまた多くの年配の方や身障の方、なによりも趣味でアーチェリーをする世界を目指す数人を除く多くの人たちが遠のきます。それにそんな経験が本当に技術を身につけ、技を磨くと思うのでしょうか。もう今のアーチェリー、12射30分の競技は昔の4日間288射のアーチェリーとは競技が違うのです。しかしそこに行きつくためにはしっかりと「アーチェリー」を学ぶしかないのです。ローカルの試合でテレビカメラが向いているわけでも、ギャラリーが期待しているわけでもありません。世界で勝つためにも、多くの仲間を増やすためにも、しなければならないことがあるのではないでしょうか。。。。昔、1970年代後半、ラスベガスでも「スピードラウンド」が行われていました。今のオリンピックの原型(?)です。ジム・イーストンもそう思っているでしょう。でも、ショーマンではなく、スポーツマンでありたいと思います。なんか、うんざりの一日でした。。。。 (2005年2月6日「今日の一言」より)
 
 「奇妙なルール2004」にも書きましたが、道具のことで言うなら「ブレース付きハンドル」をシュートスルータイプを不可としながら別項で特別に認めるということは、ブレース付きハンドルがすでに「弓という一般通念および語義に適合」していないという証しです。ではブレース付きハンドルをどこのメーカーでも作れるのかといえば、特許を逃げる方法はあるのかもしれませんが基本的にHOYTの特許に抵触することで、HOYT以外には生産も販売もできません。もし特許を逃げて類似の異なったハンドルを作ったからといって、シュートスルータイプを不可とする連盟がそれを公認してくれる保障はありません。HOYT社のためにJim・EASTON会長が作った「インチキルール」と言ってはおかしいのでしょうか?!
 もしヤマハが健在であれば、このルールが成立する以前に意義を申し立てたはずです。確信します。そして良識ある各国FITA代表者の判断によって、このような「インチキルール」は存在しなかったことでしょう。両雄の一方が消えたリカーブボウの独占市場において、メーカーの力関係はEASTONにもHOYTにも立ち向かう良識、情熱、そして勇気を失わせているのです。
 このことは道具のことであり、商売でありメーカーの問題だというのならそれはいいでしょう。弓を持たない役員は、このことが結果的にどれほどの不利益をアーチャーにもたらしているかなど考えたこともないでしょう。しかし「1分30秒」への更なる時間短縮は競技ルールの問題であり、アーチェリーという競技スポーツの本質にかかわる非常に重大な問題です。メーカーの存続ではなく、日本のアーチェリーそのものの存続にかかわる一大事です。
 
 前出の「スポーツ・ルール学への序章」中村敏雄著(大修館書店1995年)を再度図書館から借りてきました。207ページ「近代の限界:スポーツが変わる原因・理由」の項を抜粋させてもらいます。
 
 スポーツは変わるものであり、また変えるものでもあるが、その多くはルールや技術の変化としてわれわれの前にあらわれる。この両者は、ルールが変われば技術が変わり、技術が変わればルールが変わるという関係にあるが、その原因や理由は多様であり、これをルールに限定してみるとおおよそ次のようなことが考えられる。

 ( 1 )競技が、より対等、平等、公正に行われるようにする
 ( 2 )競技の結果をより正確に測定、または判定できるようにする
 ( 3 )競技がより高度な水準で行われるようにする
 ( 4 )攻守のバランスが保たれるようにする
 ( 5 )危険を防止する
 ( 6 )審判の判定を迅速、正確、容易にし、またその権限を強める
 ( 7 )競技のスピードアップをはかる
 ( 8 )プレイヤーのモラルを高める
 ( 9 )技術や用・器具に関する科学的な研究成果を取り入れる
 (10)組織や企業の収入増をはかる
 (11)競技をオープン化する(プロとアマが一緒に試合できる)
 (12)人種差別などを排除(あるいは強化)する
 (13)スポーツ大国の優位性を保つ
 (14)競技をおもしろくする
 (15)スポーツの大衆化をはかる  など

 このような創出・変化の原因や理由の基底的条件としては次のようなものがあり、これらはルールのように表面にはあらわれないが、その特徴を形成する要因として重要な意味をもっている。

 ( 1 )風土的・歴史的条件や国民性、民族性
 ( 2 )技術革新(産業革命)や都市の発達
 ( 3 )余暇時間量やマスメディヤ、コマーシャリズムの発達
 ( 4 )国民の生活意識や教育の制度・内容等
 ( 5 )宗教、思想、イデオロギー等の特徴

 これらが相互に関係し合い、また政治や経済の影響も受け、さらに国民や民族が自らの幸福をどのように追求、実現しようと考えているのかということも関係しながらスポーツのルールは生まれ、変化してきた。その全体的な傾向を一言でいえば、競技がより高い水準で行われるようにするという「方向」で変化し、われわれはそれをスポーツの「発展」と考え、結果も一応はそうであったといってよい。
 ここで「一応は」と躊躇するのは旧著でも述べたことであるが、本当にそれ以前のランナーやジャンパーより速く走ったのか、高く跳んだのかということに疑問をもたざるをえないことがあるからである。たとえば1991年8月、東京国立競技場で行われた世界陸上選手権大会で、アメリカのカール・ルイス選手はたしかに9秒86(100m走)という世界新記録を樹立したが、これを可能にしたのはハイテク技術とルール変更であったといわれており、実際には不可能なことであるが、これらの新しく加わった条件を排除してもなお彼は新記録を樹立したであろうかという疑問を消すことができない。これと同じことは棒高跳のセルゲイ・ブブカ選手にも、また過去のジャンパーとは全く異質の背面跳という新しい技術で新記録を樹立したといわれているすべてのハイジャンパーにもいえる。
 これらについては厳密に考察し、記述しなければならないが、ここではそれが目的ではないので省略するとして、これらのルールの不備が原因で新記録が生まれたといわれているということができる。陸上競技では施設・設備や用・器具の材質だけでなく、プレイヤーの技術にも厳格な規定がなく、そのためわれわれは全く異なる条件下や用具を使って行われた競技を、あたかも同じ条件やルールのもとで行われた競技であるかのように思わされており、その典型例が棒高跳と走高跳である。
 (後略)

 
 まず最後の部分をアーチェリー競技で考えてみると、1975年のケブラーストリングと1987年のカーボンアローの登場が性能(矢速)の変化と記録向上の事実から挙げられます。それまでのダクロンストリングとアルミアローによって作られた記録とは、単純には比較できない状況を生み出しています。しかしこの素材(弓具)革命に対応するメーカー努力はあったものの、基本的なルール改正は行われてはいません。
 ではルール変更による技術や記録の変化といった前半部分はといえば、これは1988年ソウルオリンピック(実際にはその前年、リハーサル大会となったアデレード世界選手権)での「グランドFITAラウンド」導入と、これに続く1989年ローザンヌ世界選手権からの「マッチ形式」の導入です。しかしグランドFITAはIOC側からの視覚的、時間的要請を受けての試行段階での競技でした。36射ごとの振い落としを行いながらも、90・70・50・30m各9射というシングルラウンドの距離をベースとして考案され、最終的には144射の合計点数も一応は残るようになっています。また1992年のバルセロナオリンピックまでは、現在の世界選手権同様に予選ラウンドはFITAシングルで行われています。
 しかしこれらのルール変更は近代アーチェリーとして長く築き上げてきた「FITAシングルラウンド」との比較を無意味にし、特に1996年のアトランタオリンピックからは予選も70mしか射つことはなく、アーチェリーとはいってもまったく異なる競技となったのです。当然これらの変更には、選手の持ち時間の短縮も併せて行われています。
 ではそこまで変わってしまった現在のアーチェリー競技ですが、これらのルール変更が前述の原因や理由のどれに該当すると思いますか。考え方はみなさんそれぞれでしょうが、個人的には (16)世界連盟のトップを兼ねる独占企業の横暴とエゴと金儲け。 という項目がないのが残念です。
 その結果、アーチェリーの世界はどうなったのでしょうか。結論から言えばあれほど問題視していた部分(見ていて面白くない。絵にも音にもならない。一日ダラダラやって、どこに当たっているのかもわからない。等など)がすべてクリアされたであろう70mマッチ形式が日本中で行われるようになった今、アーチェリー人口は回復しましたか。現実にはニュースポーツのコンパウンドを含めても、1970年代には及ばないのです。競技成績も然りです。点数が向上したのは、カーボンアローと高密度ポリエチレンストリングの成果です。
 そして今回の更なる時間短縮、「1分30秒」の意味です。弓を射たない者がルールについて語るのは簡単です。しかしそのルールで競技するのは多くのアーチャーです。シューティングラインの上で悩み苦しみ、人生について学んだ者として90秒はあまりに短すぎる時間です。それはこれから技術を身に付けトップを目指す中学生や高校生、余暇を楽しむ年配の方、体力的身体的ハンデを背負う身障者の方も同じことです。なぜなら無風であっても90秒なら、射つしかないのです。引き戻しは1回まで、インターバルはなし。ともかく射つのです。
 
 ところで昔、「スピードラウンド」という競技があったのをご存知ですか。1975年のラスベガスシュートから正式種目として採用され、1980年頃までアメリカ各地の大会でも取り入れられた結構盛り上がったゲームです。ラスベガスシュートは当然EASTON社も大スポンサーのひとつであり、今考えるとこのゲームがJim Eastonの頭の中にもあって現在のルールができあがったような気がします。
 
 
 ブルーとオレンジの樹脂製ターゲット(的)が12個。とはいってもシーソー状金具の左右に取り付けられているので、片方が出ている時は逆側のターゲットは隠れています。常時6個のブルーないしはオレンジのターゲットが見えているのです。持ち時間はこれもなぜか「1分30秒」。距離は45フィート(約13.5m)。時間内なら何本の矢を射ってもかまいません。1対1で、それぞれ3個づつのターゲットからスタートして、最終的に自分のターゲットが少なかった方が勝ちです。たしかに見ていて面白いし、興奮もします。単純に射って当てるだけでなく、オセロのように最初は射たせておいて、時間ぎりぎりでポンポンポンと返すといった駆け引きも重要なテクニックになります。
 こんな競技が生まれた1970年代、FITAも日本も競技アーチェリーの発展を願うと同時に、行く末を案じていました。世界で100カ国以上に連盟を設立することがオリンピック競技としての存続のボーダーラインであり、発展の目安でした。そのためにも、見てもやっても面白い競技運営は不可欠の条件だったのです。そこでヤマハでもスピードラウンドのデモだけではなく、クレー射撃の皿をタタミに付けて射つなどの新しいゲームの開発にも注力していました。
 なぜこんな話をするかというと、オリンピックラウンドと呼ばれる特殊なルールができて以降の日本の連盟および協会の対応に危惧するからにほかなりません。国体、リーグ戦、地方の公認試合、高体連の試合、すべてが70m化されマッチ化される現実を見て、どう考えればいいのですか。子供も大人も初心者も身障者も、すべてのアーチャーは平等にいつでもどこでもひとつの国際ルールに則って70mを3射2分で射てというのです。立派な大義名分です。しかし、世界選手権やオリンピックにおけるルールと草アーチェリーやローカル大会はまったく次元が違い、70mマッチ形式などはオリンピックだけの特殊ルールです。意外性とギャンブル性が優先され、素人の観客が観て面白い、ワクワクドキドキする、絵にも音にもなる、商業主義を第一に考え作られたシナリオになぜすべてをあてはめようとするのですか。あなたの町の試合にテレビカメラが来て、ギャラリーの歓声を聞いたことがありますか。その結果、競技人口が増え、競技レベルが向上したというのですか。このことを他の競技に例えるなら、野球は硬式野球しかない。走る時には必ずフルマラソンで競う。サッカーは45分ハーフ。スポーツをする者はすべてオリンピックを目指し、最初からそのルールに親しめということです。
 スピードラウンドでは速く射つ必要性から、今のような腰に下げたクイーバーではなく昔のロビンフッドのような背中に担ぐクイーバーが復活しました。リリースの後、手を下ろさずに次の矢を持てるからです。もちろんノークリッカーです。
 「No!」と言える日本でなければ、そして草の根大会までオリンピックのルールを適用する連盟なら、そんな時代はもうそこまで来ています。そろそろクイーバーを背中に付けさせて、ノークリッカーでともかく速く射たす練習を中学生に教えたほうがいいのかもしれません。趣味のアーチャーはハンティングに転向でしょうか。。。。

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