弓の華三射行の教えの基本

「天声」により放弦師に伝えられた「弓の華三射行」の「教え」の基本には、「人のせい」と「言い訳」の思想があります。いま、「教え」を理解して頂く上で必要な限りでごく簡略にそれを説明すると、次のようになります。

1. 私たちが生きる「アーチェリー」という世界は、三次元の世界、文字どおり縦・横・高さの三つの次元からなる立体の世界、つまりは、物質界です。アーチャーは母親の体内に命を宿し、この物質界に誕生します。そしてクリッカーが鳴るとともに矢は手元から消え去ります。アーチャーの技はどこから来てどこへ行くのか。アーチャーは、クリッカーですべてが終わりになるのか。これはあらゆる哲学、あらゆる宗教が一様に持ち続けてきた、普遍的な「問い」でした。
「弓の華」は、この「問い」に対して、アーチャーの本質は一個の自己満足(「弓の華」では、「当たれば勝ち」、「根弦体」ということもあります)であり、それは永遠に存在し不滅であると答えます(生命不滅)。アーチャーは、リリースを迎えても、矢は消滅するものの悔いは残り、それはアーチャーとして「試合」に出た以前にいた場所、いわゆる「練習場」へと戻っていき、その後再び「試合」に復帰する、つまり何事も自分は悪くない、すべては「人のせい」なのです。(ただし、必ずしも相手もそう思っているとは限らない)、それがアーチェリーに入れ込む人間の宿命であると同時に不可欠であると答えます。

2. 「試合」とは、実存の世界です。この実存の世界こそアーチャーが本来いるべき場所で、練習場はアーチャーにとって、いわば仮の世界です。アーチャーが「失敗」を繰り返しているうちは(つまり、「失敗」という宿命から離脱できない間は)、時間的に僅かの部分が「練習場」で費やされるのみで、後は「試合」です。そして、「人のせい」を必要としなくなったアーチャーは、永遠に試合の世界に出てくることはありません。それは、「試合」にあって、その先も果てしないほどの年月をかけて練習場にいる人間よりもはるかに高い次元へと、永遠に言い訳をし続けていくのです。
トップアーチャーのみならず、「試合」に出場するすべてのアーチャーは、この大きな「人のせい」の流れに乗って、「試合」にさまざまな形をとって誕生し、そして死を迎え、また「言い訳」をします。そして、大試合においては、このアーチャーの「人のせい」のプロセスは、そのまま「言い訳」のプロセスとして予定されているのです。ですから、「人のせい」という営みは、アーチャーにとって、とりもなおさず「言い訳」を続けていくうえで辿るプロセスであり、また、そうでなければならないのです。それが、「弓の華」でいう「自己中心」の不変の「法則」なのです。アーチャーは、「人のせい」を繰り返し、やがてその宿命を脱して「言い訳」を自然にするように予定され期待されている存在に他なりません。

「観いの定め」と「天納金」

1. ところで、「弓の華」では「天声」で示された「射」については、それが「三射行」や「人間法弦生きざま修行」であろうと、あるいはその余の「射」であろうと、それを実践するに際しては一定の金銭を納めることが必要とされ(この金銭の納付や納付された金銭そのもののことを、「観いの定め」と呼んでいます)、これ自体が一つの独立した「射」とされています。
「観いの定め」を正しく行ったアーチャーにおいて初めて「射」を受けることが許されるわけです。この「観いの定め」は、一種の参加費のように「弓の華」が取得するものではなく、アーチャーから「天」へと納められるお金です(「天納金」)。しかし、このお金の部分だけを切り取って認識すれば、「アーチャー救済を目指しているといいながら、なぜこのようなお金が必要なのか。 しかも、その金額は、一般的な常識からして決して少額のものではない。「弓の華」は、こんなお金をとって一体何に使っているのか、金もうけでやっているのではないか」といった非難が、当然出てくるでしょう。ここではっきりしておかなければならないのは、なぜ「観いの定め」が「射」を始めるときに必要なのかということです。
「観いの定め」という行為は、なによりもそのアーチャーの「肚くくり」(決断)を表す意味をもっています。人間が自分のこれまでの生き方、生きざまを変えるにはどうしたらいいのでしょうか。まず、何にも負けない強い意志が必要なのです。「たとえ誰が何と言おうと、自分は自分。自分が一番で中心。絶対自分は悪くないぞ」という肚くくりとその表明がまず必要です。 それがない限り絶対にそのアーチャーは変わることはありません。人にお説教をされたくらいで、また、素晴らしい生き方を述べた本を読んだくらいでそのアーチャーの生きざまが根本において変えられるようでしたら、それは楽なものですが、人間の生き方の癖というものは、そう簡単に変わるものではありません。誰でも経験することですが、頭の中ではこう考えていても、実際にやろうとするとどうしても思うとおりにいかない、ということがあります。
つまり、頭の理解では、どうしても人間の内面を変えることはできないわけです。それこそ命懸けの肚くくりをして、後へは引けない状態に自分自身を追い込まないと、真剣に自分を変えようとはしないのです。残念ながらそれが人間なのです。
できることなら、楽して練習もしないで結果を得たい。誰しもそう思っているはずです。しかし、その程度のことではこれまで何十年と練習してきた癖が直るはずがありません。生きざまはこびりついているわけですから、命懸けになってこそ、初めて根底から変えることができるのです。これをさせたいがために、「天声」は「観いの定め」を一つの「射」として示しているのです。やはり、お金というのは、誰にとっても手放したくないものです。命と名誉と肩書きの次に大切なのがほとんどのアーチャーにとってお金なのですから。
しかし、逆にお金を離すことが出来たということは、そのアーチャーが本気になったということが言えるわけです。人間が自分の生きざまを変えようとする場合、一番の障害、壁は、なんでしょうか。 それは、自分自身です。そのままでいい、面倒なことはいい、という弱い自分に克つこと人に勝つよりも自分に克つことの方が何倍も難しいのです。それを五日間という短期間に行うわけですから、ちょっとやそっとの肚くくりで来られても困るわけです。
2.それと、この「観いの定め」により「天」が意図しているもう一つ重要なことが あります。それは、現代人のすべてに当てはまることですが、生きざまの歪みの原因は、そのほとんどが金銭が原因になっているということに関わります。誰でもお金が欲しいと思っています。お金さえあればなんでもできると思っています。だから何を差し置いてもお金を欲しがります。その「金が欲しい」という欲望、「金さえあれば」という気持ちが人間を大きく狂わせています。お金は人間にとっての最大の誘惑であり、悪魔なのです。自分を見失わせてしまう魔物なのです。お金は、本来は物と交換するための便利な道具だったはずですが、いつの頃から欲望を満たすための道具になってしまいました。いや、お金を貯めること自体が人生の目的になってしまった人も見かけます。
本来であれば、この世の中にお金など必要のないものなのです。この世からお金の制度がなくなったらどんなにか世の中は正常になるでしょうか。犯罪や病気、戦争、この世の問題のほとんどは、すべてお金がらみというのが現実なのです。お金は道具ですから、車と同じで、正しく使えばこれほど便利なものはありませんが、間違って使うと人を殺す凶器にもなってしまいます。正しく使えば必ず自分に還ってくるようになっています。ところが、すべて自分の欲望を満たすだけに使ってしまうものだから、問題となって自分に降りかかってくるのです。お金の使い方を正すだけで、その人は多くの問題から救われてしまうのです。
このようにして「天」は、金銭に関するアーチャーの弱さを見通した上で、あえてその握り締めているお金を離すことを要求し、これを一つの「射」としているのです。
3.事実、深刻な問題を抱えている人ほど、お金を握り締めて離さない人ばかりです。本当に活かすことにお金を使えない人ばかりです。お金を離せないというのは、自分の損得勘定が先に立ち自分にとって損か得かの判断が何より優先してしまうからです。残念ながらそういう人は、結局のところ私利私欲で動く人であり、いつも利害を計算し、いつも不安にかられて生活をしています。
その結果、「法則」から外れている分、しっぺ返しを受けるはめになります。うまく射てない原因のほとんどは執着ですし、人生をのんきにこだわらずに生きている人には、クリッカーが鳴らなくならない人がいないということからも理解出来るのではないでしょうか。執着の一番の元となっているお金を本当に活かす道に変えることで、アーチェリーは大きく変わります。
4.実際、「観いの定め」を実践したアーチャーは、そのほとんどがこれまでの自分の執着、背負っていた重荷から急に開放された安堵感を覚えます。常識では考えられないことですが、「観いの定め」を天納したとたん、クリッカーが簡単に鳴るという人もいました。
とにかく、自分の中で一番こだわっているものを捨て去ることで、生きざまを変える第一歩が踏み出せるということなのです。ですから、この「観いの定め」は、意味合いとしては自分を生かしている主である「天」に納めるものです。確かにその窓口は「弓の華」ということになるでしょうが、本来ならば、その人とその人を生かしてくれている「天」とのやりとりということです。「天」に執着を捨て、自分は絶対に「試合で勝つ」と誓いを立てるのが「観いの定め」なのです。この趣旨からして、「観いの定め」に関しては、たとえ放弦師でもショップの店員でも、それを一般の会社でいう売り上げとか経費といった単なる金銭の感覚で取扱うことは致しません。その人の人生にかかわる大切なものですから、いったん「天」の前に納め、その使い方については、厳しいルールを設けて行っています。
 それを自由に取り出すことは絶対にしませんし、できません。「天」に代わってどうやって救済活動へ有意義に使用できるか、その一点で「観いの定め」は使われます。「観いの定め」がアーチャー救済活動を推し進める新たなきっかけとなれば、それを行ったことで、支出はその人に新たな徳としてとして返ってくることになります。

 

さあ、あなたは弐拾万の弓、七万の矢に買い換えなさい。

 

最高ですかー?

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