Eagle-K その背景(12)

ヤマハに対抗する「世界連合」を・・・

1983年、HOYTを買収したEASTONは「GM」のクレームに追われますが、買収の主目的は「HOYT」ブランドによる巨大コンパウンド市場への参入でした。しかしこの段階で、EASTONの世界戦略のためにヤマハが不可欠な存在であることに変わりはありませんでした。

そんな中、ヤマハは1985年にEXにダブルアジャスト機構を搭載した「EXα」を、1987年には鍛造ハンドルの「Eolla」をリリースします。

「GM」のクレーム対応が長引き、新モデルの投入ができない中、HOYTは苦戦を強いられます。その理由は「ダイキャスト製法」でした。この製法は溶けた金属を金型に流し込んで、固まったものを取り出すという方法です。この製法の最大のメリットは、均一な製品を量産できるところにあります。大量生産の場合、安定した品質で低コストの製品が作れます。ただしそれは「大量」な場合です。

その理由は、ダイキャスト製法でハンドルを作る場合、金型に多額の費用が掛かります。右用、左用、そしてサイズ違いがあれば、よほどの販売量が見込めない限りコストは下がりません。また、クレーム対策がそうですが、金型を修正するのも簡単な作業ではありません。

そんな中、世の中に「NCマシン」なる機械が登場します。これはコンピュータ制御された切削機で、1本1本を削って作る必要がありますが、いったん入力されたデータを修正すれば、形状変更によるマイナーチェンジやモデルチェンジが簡単にできるメリットがあります。

HOYTは他社のコンパウンドメーカーがそうであるように、「アルミNC製法」によるコンパウンドボウ製作を進めていました。そしてその一環として、リカーブボウにおいてはじめてのモデル「Radian」を「GM」に代わって、1990年代に入り投入することになります。

しかしリカーブボウにおいては、アルミによる重量化やHOYTおじさんの不在などで、HOYTの巻き返しは思うように進みませんでした。そこでEASTONが考えたのが、ヤマハに対抗する「世界連合」でした。

ここまで、ハンドルとリムの接合方法にメーカー同士の互換性はなかったのですが、HOYTはアルミNCハンドルと併せて、今の「ILF」方式の接合方法を採用しました。そしてその特許をオープンにしたのです。これはひとつの賭けでもあったのですが、そこまでHOYTは追い詰められていたのかもしれません。それにここまで韓国メーカーが追随するとは考えなかったと思います。

HOYTのハンドルやリムが他のメーカーのハンドルやリムに取り付けられることなど、HOYTおじさんなら決して許さなかったでしょう。

そして2002年、ついのヤマハがアーチェリーから完全撤退します。ここから「何でもあり」の時代に突入します。韓国メーカーは特許のない互換性とNCマシンによる小回り(プロトタイプやテストを経ず、ダメなら変更するという繰り返し)、そして低コストによって一気にリカーブ市場に参入してきたのです。

しかし、ヤマハ亡き後EASTONはそれを黙認し、ホイットおじさんとヤマハが築いてきた「世界標準」が消え失せた瞬間でした。

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