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Eagle-K その背景(7)

目次

Earl Hoyt Jr. 1911 – 2001
  Ann Weber Hoyt 1922 – 2008

ホイットおじさんもホイットおばさんも亡くなってしまいました。

アーチェリー界における「最大の発明」は何だと思いますか?

テイクダウンボウでもカーボンアローでもありません。それは1960年代に、アメリカの Holless Wilbur Allen によって発明されました。そして1969年12月30日は、この世界最初の「滑車付きの弓」の基本特許(US3486495A)が成立した記念すべき日です。

人類の歴史とともに連綿と歩んできた弓の歴史に、新たなページが追加されたのです。そして我々が想像する以上のスピードで、この弓はアメリカ国内に拡散し、世界へと伝播されました。

1972年には、Las Vegas ShootにUnlimited部門が創設され、発明から10年もせずに、リカーブボウとコンパウンドボウはその地位を逆転するのです。

Allenの基本特許はとうの昔にオープンになっていますが、この基本特許が公開された後、数々の新たな発明がなされ、周辺特許もぞくぞくと申請されたのです。そのため、現在でも最新のコンパウンドボウは、ほとんどすべてが周辺特許において保護されているという現実を知らなければなりません。新たなコンパウンドボウを作ろうとすれば、それがよほど斬新なアイデアでない限り、どこかの特許に抵触するでしょう。

53年前、Allenの特許でコンパウンドボウを作ることが許されたのは、5つの会社でした。その時から現在までずっと作り続けているのは、「PSE」1社のみです。PSEのPete Shepleyは1970年、自分のアイデアを加え最初のコンパウンドボウをインディアナ州の試合で発表しました。そして1週間で彼は200の注文を受け、次の2週間で全米各地から700の注文を受けたのです。それが翌年のPSE設立へとつながりました。

ではHoytはというと、ホイットおじさんがHoyt Companyを設立したのは1942年です。そして数々の発明と栄冠を手に入れますが、1983年に彼はHoytとそのブランドをEASTONに買収されます。

このことが非常に大事なのです。「HOYT」のブランドは生き続けても、今のHOYTとホイットおじさんのHOYTは違うのです。

憧れのHOYTおじさんに初めて会ったのは、1976年全米選手権ででした。彼の素晴らしさはここに書ききれませんが、彼の伝説として語られていたことが2つあります。

ひとつは、「プロ」を雇わなかったことです。確かにアマチュアリズムという言葉が厳格に存在した時代ではありましたが、彼が育てた多くの世界チャンピオンの誰一人も、HOYTから金をもらってその弓を使っていたのではありません。みんなが彼の人柄と彼の作る弓を必要としていたのです。

そしてもうひとつは「コンパウンドボウ」は作らなかったことです。ただしこれについては、1982年にHOYTはリカーブモデルTD2のハンドルを使ったコンパウンドボウHunter Modelを初めて発表しています。しかしこの翌年、突然ホイットおじさんはHOYTを手放したのです。

HOYTができて40年目、コンパウンドボウが生まれて13年目の出来事です。そしてHOYTおじさんは1989年に「SKY」というブランドを立ち上げて、新たなリカーブボウを製作しました。

さも80年前から、コンパウンドボウを作っているように、そしてホイットおじさんがまだ作っているように宣伝するメーカーがあります。しかしコンパウンドボウの歴史は53年であり、ホイットおじさんは21年前に亡くなっているのです。

ちなみにホイットおばさんことAnn Weberは、1959年ストックホルム世界選手権優勝を筆頭に、6度の全米選手権制覇とフィールドでも世界と全米を制しています。HOYTおじさんの奥さんである以前に、これほどの偉大な女性アーチャーが他にいるでしょうか。1984年のロサンゼルスオリンピックでは、John Williamsと共にコーチ、マネージャーとしての金、銀のメダルをアメリカに導き、その後も後進の育成やアーチェリーの普及に公私を問わず努めました。

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