抜いていいですか?

 「抜いていいですか?」 この的前での何気ない会話が、間違いの始まりなのです。
 
 いつの頃からアーチャーは平気で他人の矢に触ったり、自分の矢を触らせたり、そしてチェック(点検)もしなくなってしまったのでしょうか?!
 もし、あなたが試合中にグランドクイーバーに置いてある自分の弓を、他人が勝手に持ち上げて引いたとしたら、どうします? あるいは逆にあなたが置いてある他人の弓に対してそんな無礼なことをしますか?
 ところが近年、なぜか「矢」に対してだけは、こんな非常識で無神経な行動が当たり前のように行われ、それが容認されてしまう雰囲気が日本のアーチェリー界には根付いてしまったようです。これは悲しいと同時に注意しなければならない重大な問題です。
 ここで言っているのは、あかの他人が的に刺さった自分の矢を抜くという、的中を競う試合という場面での出来事のことです。(この時、多くの場合は新品の硬いタタミに矢はしっかりと刺さっています。) しかし、この無謀な出来事はなぜか多くの場合、練習という状況では発生しません。試合という桧舞台で突然発生するのです。それだからこそ大問題なのです。
 昔、10数年前のアルミアローの時代でも細いシャフト(と言っても18径程度でも)や安い矢(24SRT-Xなどと呼ばれたあまり高品質でない矢)は射っているだけで曲がってきました。これは現在でも使われる初心者用アルミアローでもよく見られることですが、昔は本当に試合などでタタミを射っているだけで、特に風の強い時などはそれを一試合繰り返すだけで矢(シャフト)は曲がってきました。
 では、近年カーボンアローの時代になって矢の強度が増したかというと、実際にはそうではありません。たしかにカーボンという素材を得て表面上は破断強度などは向上したでしょうが、現実にはシャフトの外径は15径以下にまで細くなり、主流となる矢はアルミの非常に薄い素材との張り合わせによる複合材となっているのです。そう考えれば、カーボンアロー(アルミとの複合タイプのもの)はアルミアロー以上に曲がり易く、もし曲がってしまった場合は復元が非常に困難な矢とも言えるのです。そしてこの問題は試合などのタタミを使う、それも新しいタタミを使っての状況で生まれ易いのです。

 なぜ近年アーチャーは他人に矢を抜かせたり、人の矢を抜くのでしょう。それも試合で・・・・。
 その原因はカーボンアローがアルミより深く刺さり、細いために抜きにくいこともあるのですが、最大の原因は先に採点の終わったアーチャーが自分の矢を早く抜きたいために、「抜いていいですか?」と聞くことです。
 それを聞いた同的の他のアーチャーは 「いいですよ」「どうぞ」 と答えるしかありません。ここに錯覚があるのです。まして最初に質問したアーチャーが他のアーチャーより若かったり、キャリアが浅かったりするとなおさらです。
 本当の会話は 「もう全員採点も終わって、チェックも入れたので自分の矢を抜いてもよろしいですか?」に答えて、「いいですよ、もう矢に触ってもいいので、どうぞあなたの矢は自分で抜いてください。」と言いたいのです。もっと正確に言うなら 「私の矢は自分で抜きますから、そのままにしておいてください。」と付け加えるべきなのです。
 ところが、最初の矢取りで年長者に「どうぞ」「抜いてください」と言われた若いアーチャーは、抜いてくれと頼まれた(命じられた)と勘違いしてしまいます。そして抜いてもらったアーチャーは楽を良いことに、それに甘んじるのです。
 この悪しき慣習は何にも増してアーチャー自身にとっての不幸です。
 真のトップアーチャーでなくとも、それを目指し憧れるアーチャーは必ず自分の矢は自分で抜き、抜いた後はシューティングラインに戻るまでにすべての矢を毎回チェックするものです。ハネは剥がれていないか。ノックは真っ直ぐ付いているか。そしてシャフトは曲がったり、割れたりはしていないか・・・。それが常識というものです。そして自分の矢を自分で抜くことは、自分の道具を大切にするということだけではありません。自分で的面から抜くことで一本一本の的中位置と、自分の作り出したグルーピングを確認することができます。こんな当たり前のことをできなくて、弓がうまくなるはずがありません。
 これからは「私の矢は自分で抜きますから、そのままにしておいてください。」と、はっきりと言いましょう。それが技術や道具以前の心構えであり、アーチャーの常識です。

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