有弓休暇(32)

 うわぁー呑んだぜ。久しぶりにどうやって帰ったかの記憶が完全に欠落するくらいに、飲みました。翌朝ドーピング検査なら絶対アウトくらいに、思いっきり飲みました。
 「京都府アーチェリー連盟50周年祝賀会」。ほんとに久しぶりというか、何10年も会っていないそれはそれは懐かしい人たちに会えて、とんでもなく楽しかったです。
 京都府連ができたのが1959(昭和34)年。「京都府アーチェリー協会」として、全国で5番目に発足したそうです。そしてこの年は、第1回の全日本アーチェリー競技会が開催されたり、全日学連の前身である日本学生アーチェリー連盟が発足した年でもありました。
 その後1966(昭和41)年に「京都府アーチェリー連盟」となるのですが、1962年には今の植物園の中で第4回の全日本アーチェリー競技会を開催したり、1968年には塚本耕二さん(同志社大学)が全日本選手権に優勝したり、そしてヤマハの川上源一さんやアサヒ弓具の小沼英二治さんたちと一緒に日本にアーチェリーを根付かせるべく東奔西走し、今の日本のアーチェリーの黎明期を支えたのです。
 、1947(昭和22)年「日本洋弓会」創立。1956年「日本アーチェリー協会」に改称。1920年ベルリンオリンピックを最後に、1964年の東京オリンピックで復活かといわれていたアーチェリー競技が、結局見送り。そして1972年のミュンヘンオリンピックで、アーチェリー競技が復活。その初のオリンピック日本代表選手男子3名、女子1名の中に1973年グルノーブル世界選手権で一緒だった日比野正嗣さん(同志社大学)がいて29位。そして2回目の1976年モントリオールオリンピックでは、男子2名女子2名の中に道永宏(同志社大学)がいて、日本初の銀メダリストに輝いたこと。そのお陰で影に隠れてしまったのですが、コソっと堂々の個人8位入賞を果たしたのが1975年インターラーケン世界選手権で日本初のメダルである団体銀メダルも取った西孝収さん(和歌山県)などなど、そんな懐かしの3人にも会えて嬉しかったです!
 選手だけでなく、アーチェリーをとおして色々なことを教えていただいた大先輩の皆さんにも会えました。米寿を迎えられまだまだ元気な、上田敬治 元理事長。立命館大学前OB会長の阪村悌介さん。高校の時の顧問だった森田勝先生。全ア連の飯塚さん、そしてたくさんの方たち。いやー、50年には及ばなくても40年間まっとうにやっているといろんなことがあるもんです。
 そんな中でぜんぜん分からなかったんですが、出口で声を掛けてくださった久保愛三さん。高校時代にアーチェリーや道具のことを教えてもらい、40年以上会っていませんでした。涙が出るほど懐かしかったです。一昨年京都大学を退職され、名誉教授になられたようですが、またゆっくりお会いしたいです。
 そんなこんなで、京都府連発足から10年目にアーチェリーを始めた身なので、1Q69年以前のことはわかりませんが、、、、、、、1972年、52年ぶりにオリンピックに復活したアーチェリー競技。インターネットもなかった時代のそれを報じる最初の新聞↓、見つけました。ここから日本「アーチェリー」の黄金時代と世界制覇への道が始まったのですよ。

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