有弓休暇(1)

 最近の弓を見ていると、正直それはひどいものです。問題が起これば知らないうちに形状や仕様が変更され、それでも手に負えない場合は毎年のようにモデルチェンジされます。それを許しているのが「NCハンドル」であり、製法ゆえの現状なのです。簡単に作り変えられることで、メーカーも在庫を持つリスクが軽減され作っては売ればいい、何か起これば直せばいいという状況において、信じられないくらい安易に商品を作り販売します。それはちょうどパソコンソフトにも似ています。昔はバグがあれば商品にはならなかったものが、今では売る方も買う方も最初から完璧を期待していません。修正プログラムやバージョンアップは当たり前なのです。しかしアーチェリーが違うのは、β版以前のα版までもが最近はテストも評価もされずに完成品のようにパッケージされ、高額の商品として普通に出回ってきたことです。
 弓を作るということは、普通の人が思うほどに簡単ではありません。信じられないくらい大変なことです。資金と資材があればできるか、というと決してそうではありません。マイナーな世界だからこそ、そこには多くの経験とノウハウが必要とされます。そのノウハウはコピー商品を作ることで培われるものではなく、アーチェリーに対する夢と情熱によって生み出されるものです。しかしそんな夢も情熱もなく、アーチェリーを金儲けの手段としか考えないメーカーが作り出す商品だからこそ近年「定番」と呼ばれる弓がなくなったのです。ましてや「名機」と呼ばれる弓は皆無に等しい状況です。世界チャンピオンが使った弓ですら定番にも名機にもならないのは、その弓が万人に与えるに十分な性能や機能を持っていないことに加え、チャンピオンが使った動機すらそうではないからです。
 
 よくヤマハの中でどの弓が良かったですか、と聞かれます。ヤマハにはいくつかの名機がありましたが、一番と聞かれればやはり「EX」を挙げます。ヤマハあるいは日本のアーチェリーのみならず、世界のアーチェリーにおいてこのモデルは特筆に価する名機です。
 1981年には実射テスト完了。1982年から世界同時発売されたハンドルには初めてのレスト&クリッカースケールやグリップのデザインなど多くのアイデアが装備され、後にはこれも世界初の多色塗りモデルも追加。。1986年には「α-EX」としてポンド調整機構も搭載されます。そしてそれらすべての機能とグリップ形状を引き継ぎハンドル形状のみをモデルチェンジした1987年「Eolla」まで、世界チャンピオンをはじめとし多くの世界記録とタイトルを樹立しました。最も多く生産、販売されたハンドルです。
 しかしこのハンドルが名機であることは、そんな数量からだけではありません。それ以上にテイクダウンボウになって初めて、金属ハンドルに新たな可能性と方向性を示したのです。
 EXの形状的特長は「Tボーン」「Lボーン」と呼んだハンドルの断面形状であり、それに伴う直線を主体としたシャープで斬新な今までにないデザインでした。今見れば当たり前のこのデザインも、当時は異型でした。なぜなら1970年代に登場したテイクダウンですが、それらの金属ハンドルはどれもが前身である木製ワンピースボウの呪縛から逃れることができなかったのです。簡単に言えば、ハンドルが金属になり分解式になったにもかかわらず、弓はすべて旧態然とした昔ながらの木の弓と同じ形をしていました。
 その理由は弓の外観イメージのみを引き継ぎ、素材や構造の変化に目を向けなかったからです。それに対してEXは初めて、マグネシューム合金という金属の特性と製法を前提として新たなハンドルをデザインしたのです。しかしそこに至るにはヤマハにも苦い経験があります。ヤマハにとっての初の競技用テイクダウンモデル「Ytsl」は1977年に世界チャンピオンとなった後、1978年に一層の軽量化モデル「YtslU」として生まれ変わりました。これがヤマハ世界戦略の第一歩であり、世界の頂点に立つHOYTを初めて射程に収めた時です。ところがこの軽量化スリム化が裏目に出ました。まだまだテイクダウンのノウハウを持ち得ない世界のメーカーの中にあって最も細く軽量なハンドルをそれまでの製法の延長で作った結果、折損という大きなクレームを起こしたのです。その時ヤマハは多くのことを学びました。全品レントゲン撮影で製品検査を行う中で、新たな製法、新たな技術を多く開発しました。それらを踏まえて作り出されたのが折れない、軽い、そして振動吸収に優れ、バランスの良い「EX」なのです。
 このモデルでヤマハは追い続けてきたHOYTに完全に並びました。そこから追い越すのに時間は必要としませんでした。なぜならこれに焦ったHOYTが翌年発表したのが、EXのコピーモデルともいえる「GM」だったからです。外観がほとんど同じこのモデルを、HOYTはテストらしいテストも行わずに発表しました。ヤマハのカーボンリムで矢速においても後れをとったHOYTは25インチというイレギュラーなロングハンドルでリムのしなりだけを大きくし、矢速アップを求めました。品質の低下と引き換えにポンド調整機構も搭載しました。性能を無視したプランジャー可動機構もこの時追加されました。ヤマハなきあと生き残った構造もありますが、それ以前にGMはハンドル強度が不足して折損ではない曲がりに悩まされ、すぐに金型変更がなされます。そしてHOYTはMr.Hoytの手を離れEASTONの傘下に身を委ねるのです。日本人が追い求めた日本人が作った弓が世界の頂点に立ったのです。この時から世界はヤマハを目標に、そしてハンドルはテイクダウンボウというまったく新しい構造、発想で開発、生産されるようになったのです。
 
 そこで誰も知らないEX余話。
 こんな背景で名機EXは作られたのですが、実はEXはベアボウモデルだったのです。
 1980年当時何度か世界フィールドに参加していたのですが、そんな時当然海外の遠征ではベアボウアーチャーの方とも日々話したり、練習を共にします。そんな中、日本で唯一の金メダリスト、河渕さん(女子ベアボウ)の活躍もありベアボウ用のハンドルが作れないかという話になりました。そこで研究課を交え試作の検討に入ったのです。今よりルール上の制限が大きい時代です。重さを増やすには、軽量化と強度を考えマグネシューム合金での鋳造が最先端であったわけですが、単純にその素材を変更することも考えました。しかしアルミニュームの方が溶解温度が高いため、同じ金型で素材をアルミに変えることは金型自体を溶かす結果になります。そんな試行のなかで意匠課(ヤマハデザイン)からハンドルのラフスケッチがなん点か上がってきたのです。エイミングし易いようにウインドウ部分を鋭角でデザインし、重量を増やすべく形状に工夫を凝らし、いくつかのアイデアを出した最初のイメージです。
 このスケッチの1枚にEXの原形があったのです。個人的にどうしても使ってみたいと直感させるハンドルでした。そこで急遽、当時開発に入っていたYtslUの後継モデルをこれでいくことに決めたのです。ベアボウとしては日の目を見なかったのですが、これが名機EXを生み出すスタートにまりました。
 最後に決まったのは、1981年ヤマハが試作していたカーボンアローのテストに来日したジョン・ウィリアムスとのミーティングで、彼が考えた「Enter the Age of Excellence」なる言葉がグリップ横のEXバッチ下に印刷されることです。
 そんな世界の頂点に立ったヤマハをなくしたツケが、今まわってきています。。。。

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