アルマイトのはなし

 「24SRT-X」や「XX75」を知っている人は、1980年代以前のアルミアローの時代を知る人でしょう。とはいえ、これらのシャフトが色付きのカラーシャフトという人は、比較的新しいアーチャーです。「Swift」を含め、「ニイヨンエス」(24SRT-X)ヤ「ダブルエックス」(XX75)でアルミ地肌の銀色のアローシャフトで思い出す人は、もっと古いアーチャーです。雨の試合では手が真っ黒になり、翌日アローケースを開けると矢が粉をふいていたあの時代は1970年代中頃まで続きました。「X7」だけは表面処理のおかげで手を汚すことはありませんでしたが、それでもカラー化されたのは同じ1970年代の中頃です。これらのシャフトはすべてEASTON社の初期のアルミシャフトであり、基本的に変わりはないのですが、現在のアルミアローの原型です。
 今でこそ矢はカーボン製ですが、その昔木や竹でできた矢がアルミニューム製に変わった理由は、その素材の持つ軽さや強度、そして引き抜き製法で均一で大量生産が可能という加工性の良さといった特性からでした。しかし欠点もありました。その最大の問題は錆びることです。アルミ表面が空気や水に触れることで酸化し腐食するのです。
 そこで開発されたのが「アルマイト」です。一般にはアルマイト加工やアルマイト処理と呼ばれますが、素材のアルミニュームにプラスの電極を付けて硫酸やシュウ酸溶液に漬けて電解し表面に酸化被膜を付けるもので、その後で染料を吸着させれば色が付くというわけです。正確には、陽極酸化法によってアルミニュームの表面処理を行ったもので、そこにできた被膜がアルマイトというわけです。
 これによってアルミは錆びないばかりか、いろいろな色と強度を得ることになりました。この方法は「金属メッキ」とは異なります。メッキはマイナスの電極(陰極)に素材を付けることもありますが、それ以上に大きく違うのはメッキの場合はアルミ以外の別の金属を表面に貼り付けるものです。それに対してアルマイトは素材であるアルミニューム自体が酸素と反応して、自らを使って新たにアルマイト層を生成します。
 が、そこまでは知っていたのですが、このアルマイトを発明したのが日本人であることを知っていましたか? 1924年、大正13年のことです。
 現在は独立行政法人ですが、理化学研究所というのがあります。宇宙ロケットから花粉症まで、科学技術水準の向上を図ることを目的に物理学、工学、化学、生物学、医科学などにおよぶ広い分野で研究を進めている、日本で唯一の自然科学総合研究所です。ここが毎月発行している「理研ニュース」という結構面白い冊子があります。その5月号(No.187 May 2005)にこんな記事が載っていたので抜粋させてもらいます。
 
   「記念史料室から アルマイト製録音盤を新たに発見:アルマイトの開発秘話 」
 
 アルマイトの開発は、主任研究員であった鯨井恒太郎、瀬藤象二(しょうじ)、宮田聡らのグループの研究成果である。開発の中心となった宮田は1924年(大正13年)に東京帝国大学を卒業して、鯨井研究室でアルミニウムの陽極酸化を研究していた。陽極酸化とはアルミニウムをシュウ酸溶液につけて表面を酸化被膜で覆うものだが、そのままでは被膜の中に染み込んでいたシュウ酸が乾燥とともに表面に結晶として出てきて白い粉となる。これを防ぐために、電解後、温湯で煮出す処理をする。この煮出しの作業中の不注意が、アルマイト発明につながった。
 理研の記念史料室にその失敗の記録が残っている。「数枚の定規を重なり合わせたまま、お湯の中で煮てしまった。その結果、取り出したときに部分的に変色したところができた。この失敗を取り戻すために再び電解したところ、いくら電流を流しても変色した部分の色が消えなかった。この部分を詳細に調べた結果、多孔性を失って電解液が染み込まない状態となっていることがわかった。これは前々からわれわれが欲求して満たし得なかった多孔性の滅失ということが偶然にも達成されていた」と実験ノートは語る。この失敗が、アルミニウムの酸化被膜の持つ欠点を一気に解決する手掛かりとなった。「多孔性を百発百中、滅失させるためにはどうすればよいか。この問題を解決するために、新たに活発な研究を展開した結果、わざとシュウ酸を染み込ませた状態で、4から5気圧の水蒸気を作用させれば、その目的を的確に達成することを見いだした」のである。
 宮田自身はこの思いもかけなかった発見を、『アルミニウム年鑑・マグネシウム総覧』(金物時代社発行、昭和14年)の応用加工編で次のように書いている。「ある日、筆者は驚異な事実を目撃した。それを子細に調べると、ますます不思議である。この事実から推理して、アルミニウム酸化被膜の多孔性は、高圧水蒸気に曝(さら)すとなくなるのではないかと直感的暗示を受けた。電気絶縁物である酸化被膜は電気を通じてつくるため、酸化被膜には電気を通じる孔が開く。孔があれば被膜が厚くても防食効果はなくなる」。この多孔性の問題が解決への糸口となり、宮田は熱機関を専門としていた親友の山田嘉久を訪問、そこのボイラーを使って確かめる実験を行った。「天はわれわれに幸して、直感の事実であることの確証を得て凱歌(がいか)を上げることができた」。実験は見事成功し、その成果は国内外で高く評価された。
 第3代所長・大河内正敏は、1928年(昭和3年)、静岡にアルミニウム陽極酸化被膜工場のパイロットプラントをつくる一方、アルミニウム関連企業に特許実施権を与えてアルマイトの普及促進を図った。1934年(昭和9年)には、初のアルマイト専業企業として「理研アルマイト工業(株)」を設立し、その需要増に備えた。そして、宮田は着色、写真、エッチング、印刷、点溶接などの応用研究に成功し、アルマイトの飛躍的な発展に寄与した。実際に機械工具、容器、装飾品、建築物など広範な分野に、時代の寵児(ちょうじ)としてアルマイトが多大な利便を与えることになった。
 
 
 ということで、アルミに電極を付けて皮膜を作ることは分かっていたのですが、そのままでは電気が通る穴がハニカム状に多孔質層として残りそこから腐食が起こるのです。この孔を塞ぐ方法を見つけたわけです。それがこの後処理としての酢酸ニッケルと添加剤を入れた熱湯に通す方法です。これによってアルミは錆びなくなったのです。
 あれから30年、アルマイトはシャフトではなくハンドルに使われるようになりました。ハンドルがマグネシュームからアルミニュームに再び変わった結果です。しかし、アルミ素材であればすべてがアルマイトというものでもありません。アルマイト処理を施すにはアルミ合金の種類も問題ですが、ある程度素材の表面が整っていなければなりません。ところが例えば鍛造ハンドルの場合では最初の段階では表面が荒れています。これを後加工でキレイにするにはコストが余分に掛かってしまいます。また赤系のアルマイトは耐光性が良くないので色褪せしやすくなります。そんな場合には、以前のマグネシュームハンドルの時のような吹き付け塗装の方がいいのかもしれません。また塗装の方が色やバリエーションが豊富になります。
 あるいはこれも日本の発明ですが、最近では「曲面印刷」という技術があります。水溶性フィルムに模様を印刷しておいて、それを水の中で素材に転写するのです。そうすればジーンズ模様のハンドルでもできるというわけです。
 技術はどんどん進歩しています。そしてその多くは日本の発明や技術です。ましてやそれをアーチェリーの世界に導入し反映させてきたのは日本のアーチェリー界です。素材としてのケブラー(芳香アラミド)繊維こそデュポン社に先を越されたものの、それをアーチェリーに最初に使用したのは日本です。高密度ポリエチレンにしてもカーボンも低反発ラバーも、そしてNCをはじめとした工作や製造の技術は日本が世界のトップクラスです。このことを決して忘れるべきではありません。
 2002年、ヤマハがアーチェリー部門から撤退したことは、日本のみならず世界のアーチェリーにとっての大打撃です。最新の技術や最先端の素材をアーチェリーに反映させるハードもソフトも、ノウハウまでもを失ったのです。それによって世界は切磋琢磨の対象とともに、目標とスタンダードを失いました。お陰で技術開発の遅れだけではなく、最近では陳腐な技術や30年前のノウハウまでもがあたかも最新であるかのように横行する始末です。こんな時代だからこそ今一度、日本の底力と日本こそがしなければならないことを再考してもいい時期ではないでしょうか。これからの世界のアーチェリーのために。

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