有弓休暇(25)

 祇園祭も終わって、次は大文字。暑い夏です。
 で、今日は試合だったのですが、、、、
 最近の試合でいいことは、表彰式が早く終わることと、試合自体が早く終わることでしょうか。とはいえ、40数年の中でのことなので、最近のアーチャーにはわからないでしょうが、、、、1980(昭和55)年の栃木国体からアーチェリーが国体種目に正式採用されました。それまではどの試合も各部門、各順位の表彰を一人ずつしていたのが、国体のおかげで表彰式が、部門ごとに整列して、入賞者全員がいっぺんに終わるようになりました。これは画期的なことだったのです!
 そしてもうひとつの方は、今も早く帰れてビールを飲んでます。夏はビールです。
 肴は先日買った、こんな雑誌です。。。
 グラフィックサイエンスマガジン日本語版 「Newton」 (2009年8月号)
 特集「偶然の数学:確率」の中に、その中にこんな記事がありました。
 
  コイン投げを1000回繰り返したら? ”表と裏の出る割合は50%に近づいていく”

 表と裏の出る確率が等しいコイン(表が黒、裏が白のものとする)があるとしよう。この場合、表が出る確率は1/2、裏が出る確率も1/2である。
 このコインを1枚投げ、表か裏かを記録する実験を1000回くり返すとしよう。Newtonが実験を行ったところ、最初の10回は、裏・表・裏・裏・裏・表・裏・裏・表・裏となった。表の割合は3/10、裏の割合は7/10であり、本来の確率(1/2)からかなりずれた。
 では、最初の100回の結果はどうか。表が45回、裏が55回となり、確率1/2に近くなったことがわかる。そして1000回の結果は、表が508回、裏が492回であった。割合を百分率であらわせば、表が50.8%、裏が49.2%である。本来の確率(50%)へとさらに近づいている。
 このように、ある偶然のできごとをくり返した場合、その結果は本来の確率に近づいていく。これを「大数(たいすう)の法則」といい、確率論の基本的な法則である。コインを無限回数投げれば、表と裏の確率はちょうど50%ずつになる。
 また、この実験では、表か裏のどちらかが意外なほどに連続して出ることもあった。例えば43回目から50回目までは、裏が連続して8回出た。744回から752回目にいたっては、表が9回連続だ。このとき、ある人は「9回もつづけて表が出たのだから、次は表は出にくいだろう」と考えるかもしれない。あるいは別の人は、「次も表が出やすいだろう」と考えるかもしれない。
 これらの考えはいずれも誤りである。表と裏の確率が1/2ずつのコインであれば、過去の結果に関係なく、いつでも1/2の確率で表(あるいは裏)が出る。コインやサイコロでは、過去の結果は未来に影響しないのだ。
 このように確率というものは、短絡的にみる(コインを投げる回数が少ない)と、本来の確率からかけはなれた結果が出て”あれる”ことがしばしばある。しかし長期的にみる(コインを投げる回数が多い)と、本来の確率に近い”落ち着いた”結果が出るのである。確率論の恩恵を受けるには、長期的な視点が必要ということだ。

 どう思いますか? アーチェリー競技がサイコロやコイン投げと同じとはいいません。ましてや、アーチェリー競技は「当たった」と「外れた」の1/2の確率でもなければ、みんな10点を狙って10点に当てようとしているのですから、「まぐれ」や「確率」で単純に論ぜられないことは知っています。
 しかし、しかしです。1987年から始まった、それまでのシングルFITAやダブルFITAラウンドを改革する「グランドFITA」「ニューオリンピックラウンド」、そして現在にいたる「マッチ形式」の流れは、「あれる」ことをこの競技に持ち込んだことは事実です。言葉を変えれば、意外性であり、観ておもしろいハラハラドキドキの展開です。そして「288射」と「12射」なら12射が「あれる」のは当然です。それこそが確率です。逆に言えば、真のチャンピオン(的中精度と技術を競う意味において)を決めるルールは、限りなく無限回数に近づくべきであり、それが「4日間288本」だったはずです。
 我々は部外者として競技を観る、楽しむのであれば「オリンピック」は最高の場面です。だからこそ、今のアーチェリー競技も他の競技に倣って今日のルールへと変遷を遂げてきました。観ておもしろい、絵になる、音になる、そして金になる競技形態です。
 しかし、その競技を行う当事者として、そのことがイコール最高のステイタスであるかといえば、そうではありません。サッカーがオリンピックより上にワールドカップがあるように、陸上でも水泳でもテニスでも、そこでプレイすることが許される者にとっては、最高のステイタスはオリンピックのタイトルより「世界選手権」でのタイトルです。そしてそれらの多くの競技は、オリンピックと世界選手権をルール上区別しています。あくまでオリンピックは、観る側のルールであり、世界選手権はする側のルールです。
 ところがアーチェリー競技は、その一線を引かずに試行錯誤がくり返されました。結果、今も世界選手権とオリンピックは基本的に同じルールです。新ルールとして1987年世界選手権で導入された「グランドFITA」は、翌1988年ソウルオリンピックのリハーサル大会でした。ダブルFITAラウンドは、オリンピックへの試行と同時に世界選手権からもオリンピックからも消えたのです。
 そろそろ、やる側の人間として「真のチャンピオン」を見てみたいものです。オリンピックはこのままでもいいでしょう。商業主義で金儲けが前提なのですから。しかし、世界選手権を「ダブルFITA」に戻してはいけない理由はないはずです。1エンドの時間や本数はこれまでにも変わってきました。それは時代の流れです。しかしその競技者の世界一を決める場面だけは、「あれる」ことを見たいのではなく、世界最高の技術と技とパフォーマンスを見たいと思いませんか。部外者ではなく、同じ競技を志す者として。
 本当に美しいでしょう。↑
 みなさんはどう思います、「大数の法則」。。。。 明るいうちからビールが飲めるのは、いいんですが。

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