有弓休暇(29)

 今年も全関西選手権で射ってきました。それにしても出だしからうまく射てなくて、当たらなくて、、、まわりを見渡してみると、なんか若者だらけです。ふと考えると、自覚はありませんがひょっとしてここ数年は最年長かな?、っと。いや、歳でいえば「18歳の高校生3人を相手に戦っているのだ!」と考えると笑けてきて、ちょっと和みました・・・。(^^ゞ
 それはともかく、一番端で滑車の付いた弓を射っている「赤沢さん」を発見!
 
 1970年11月全日本選手権、大阪長居の陸上競技場で行われた大会に、高校2年で初めて出場。その感動は、参加したことではなく凄い点数に立ち会えたことへの感動でした。「1234点」日本新記録樹立(286日本新-318日本新-296-334)。
 それは日本で始めて1200点台が記録されただけでなく、世界記録に16点差と迫るとんでもない更新でした。前月、神戸王子の陸上競技場で行われた都道府県対抗で、若槻さんが更新した「1196点」の日本新記録を目の当たりにした高校生には、どちらも想像もできない点数でした。そしてこの快挙が翌年5月、名古屋森林公園で中本さんが射つ「1252点」世界新記録への導火線となるのです。日本のアーチェリーがこの時から世界を射程に置き、倒せる手ごたえをつかんだ瞬間でした。

 こんなとんでもないことをいとも簡単にやってのけたのが、当時神戸大学3年の「赤沢 実」さんでした。世界制覇を目指し動き出したヤマハが、世界戦略第1号モデルとして投入したヤマハ「YG」の66インチ40ポンド。弓は最新なれど、矢はXX75の「1618」26 1/4インチととんでもなく細く重いシャフトで(物のない時代とはいいませんが、もう少しマシなスパインの選択がありそうですが、ご本人はこれが完璧に飛んでいたとのことでした。)、2日間に亘り他を圧倒して優勝したのです。
 当たり前のことですが、そんな赤沢さんも、今年定年を迎えたそうで、、、滑車に依存して10年が経つそうです。
 しかし皆さん、人を持ち物や見かけ、なおさら点数で判断してはいけませんよ。当時、赤沢さんは最新の弓ではあっても、腰のクイーバーはビールの「栓抜き」を曲げたS字金具にぶら下げていました。10数年前は、リカーブで親指と人差し指の間ではなく、人差し指と中指の間にグリップを挟んで射っていました。(それが世界の趨勢になれば、時代の先駆けだったのでしょうが、、、)
 そして本人曰く。ここ数年、この大会は「ブービー賞」が定位置とのこと。今回も1234点超えずの「1224点」で、昨年同様の下から2番目でした。
 そんな赤沢さんですが、日本のアーチェリーの歴史を切り拓き、新しい時代に導いてくれた偉大なアーチャーです。トップアーチャーのひとりというだけでなく、歴史に残る1人です。決してそれを忘れてはいけません。忘れないように、そして知らない多くのアーチャーのために書いておきます。
 特に滑車の皆さん、よろしくお願いします!
 赤沢さん、また来年も射ちましょ!! 大丈夫、僕もアルミの点数をなにひとつカーボンで超えてませんから。。。。
   (^^ゞ

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