すたいる

 どうして最近のアーチャーは節操がないんでしょうかね?
 例えば、ちょっと弓が当たってちやほやされて弓をあげるとか、道具を貰うという話になると、何でも平気で貰うし平気で使うでしょう。プライドもそうですが、それ以前に自分のスタイルってものがないんですかね?
 自分のイヤな道具を使って当たりますか? アーチェリーは決して道具が当ててくれるのではありません。高い道具やトップアーチャーと同じ道具だからといって、同じ物を使っても当りません。アーチャーが道具を使って、当てるのです。その意味でアーチャーは一旦シューティングラインをまたげば、その弓とその道具と一緒に心中する心構えがなければいけません。いくらウエイティングラインから叫ばれようが、声援を送られようが、最後には自分が自分をどうコントロールできるかなのです。そんな時に道具に対して一抹の不安や不満があれば、いい結果がでるはずがありません。その道具を愛している気持ちが大切なのです
 そんな時必要なのが「自分のスタイル」です。ちょっと使いふるされた言葉にアイデンティティ― (identity)というのがありますが、どう自分であり、どう自分を表現するかなのです。他人のコピーでは所詮コピーのままです。(ただし、すべて最初はコピーからスタートします。問題はその先のことです。)
 世界のトップアーチャーを見れば、そこには必ず存在感があります。それはシューティングフォームを含め、ちょっとした仕種や言動、そして使っている物・・・などすべてからにじみ出るものです。では、そんな存在感は例えば「世界チャンピオン」という称号とともにそのアーチャーに付与されたのかというと、決してそうではありません。世界チャンピオンになる人間は、世界チャンピオンとなるもっと以前からそのスタイルを持ち、築き上げてきたのです。それが素質であり、資質かもしれません。
 自分のスタイルを持ちなさい。作りなさい。当っても、当らなくても、自分だけの形、在り方、スタイルを築いていくのです。頑固と言われようが、自分勝手と言われようが、バカと言われようが・・・・ともかく自分の信じるスタイルを求めなさい。最後には自分が責任をとるしかないのですから、やるだけやってみればいいでしょう。スタイルのないアーチャーは決してトップにはなれませんよ。

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