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1984 LosAngels Olympic

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Darrell O. Pace(USA)


ダレルは1976年モントリオールオリンピックで、ぶっちぎりでゴールドメダルを獲得。それに前後して、1975年インターラーケン世界選手権、1979年ベルリン世界選手権でも優勝を果たし、1980年モスクワオリンピックでも当然のように2個目のゴールドメダルを獲得すると誰もが思っていました。
ところがモスクワオリンピックをアメリカはボイコット。ダレルはアーチェリーをやめることも一度は考えたのですが、再度4年後を目指します。そして1984年の2個目のゴールドメダルまで、8年の間があったにもかかわらずロサンゼルスでダレルは再び圧倒的ぶっちぎりで、いとも簡単にそのメダルを手に入れます。

前々回1976年、ダレルは2トーンに塗り分けられたアルミ矢と真っ白のリムで優勝します。1980年代まで、メーカーにとってオリンピックと世界選手権は唯一新製品発表の場であり、それによって世の中が変わる瞬間でもありました。
1976年までアルミ矢は単色のアルマイト加工しかなく、2色に塗り分けられたシャフトなど誰も使っていませんでした。もちろんそれはEASTONのプロトタイプモデルでありデモンストレーションです。
そして同じように、ロゴマークもなく、サイド面まで白く塗られたリムは、Hoytのプロトタイプによるテスト以外の何物でもありません。それまでのグラスリムに代わりカーボンが挟み込まれ、それを隠すように真っ白に塗られたリムはダレルしか使っていませんでした。
1976年は「カーボンリム」が初めて登場した年です。(Chapter14 131ページに続く

では8年後のこのビデオでは何が登場したのか。この年は「カーボンアロー」が初めて登場した、記念すべき年です。そして圧倒的な記録でその性能を見せつけ世の中が一気に変わった、と言いたいところですが、、、実はダレルの横で射つリック・マッキニーもダレルと同じ、今の「ACE」の前身となるEASTON「A/C」というシャフトを使っているのですが、リックはダレルに大差を付けられシルバーメダルに終わります。
ダレルはこの年も点数は道具でなく、彼自身の凄さと実力であることを見せつけたのです。

この前年はまだアルミアローの時代です。そこにカーボンシャフトが登場した時、トップアーチャーの誰もが速く低く飛ぶ性能よりも、「細くなる」ことのデメリットを心配したのです。当時、例えば30mでのパーフェクトを目指す時、「オンラインのタッチ」を考えると、細さがそれを妨げました。アーチャーは薄く太いシャフトによる高得点を目指し、現にダレルもリックも21径シャフトを使っていました。そんな時登場したカーボンシャフトは17径ほどであり、それは女子が使う矢より細い外径です。
だから、このロサンゼルスでリックは長距離(90・70m)はA/Cを使ったものの、短距離(50・30m)ではそれまでの太いアルミシャフトを使っているのです。それほど完成されていないカーボンシャフトでしたが、ダレルは未知の世界に踏み入ります。彼だけが唯一オールラウンドを通してカーボンアローを使い、優勝したのです。
こんなことはダレルにしかできないことでした。道具が優れていたのでなく、ダレルだからこそ、ダレルにしかできない芸当でした。

それを証明する出来事がもう一つあります。このオリンピックで2人が使った「A/C」、アルミカーボンアローは、これほどの成果を収め世界にその凄さを見せつけたにもかかわらず、このあと商品とはならずプロトタイプで終わります。性能的にも品質的にもアルミアローを超えることができず、世界のアーチャーに受け入れられることはありませんでした。
この後、世界がアルミからカーボンに変わったのは、1989年のローザンヌ世界選手権からでした。この試合で、フランス製オールカーボンアロー「BEMAN」は、10年間誰も破ることができなかったダレルの世界記録を1点更新したのです。これにより世界はカーボンアローに変わり、EASTONは初めて後塵を拝したのです。
そしてこの大会、国内予選で敗退し代表とはならなかったダレルは、前年1988年のソウルオリンピックの団体銀メダルを最後に一線から退くことになるのです。

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