昔々、こんなことがありました。– category –
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昔々、こんなことがありました。
Hardy Ward (USA)
偉大なる世界チャンピオンのひとりです。1949年テキサスに生まれ、5歳の時にアーチェリーを始め、1966年16歳で全米タイトルを獲得。1969年、世界初の1200点台を記録し、... -
昔々、こんなことがありました。
盲目的なルールの適用と常識的なルールの適用
盲目的なルールの適用と常識的なルールの適用の違いについて、簡単な例を挙げてみたいと思います。警察官が時速 100 キロ以上でスピード違反しているドライバーを停止さ... -
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無礼者、だれの矢ぁや思てんねん。
もし、試合中にグランドクイーバーに置いてあるあなたの弓を、他人が勝手に持ち上げて引いたとしたら、どうしますか?まさか、あなたが他人の弓に対して、そんな無礼な... -
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なぜ、あなたのポイントは「砲弾型」?
昔、アルミアローの時代、ポイントは長い間「△屋根型」でした。それが1980年代に入って、EASTONは長く使われてきた屋根型ポイントをすべて廃番にして、「NIBB」(New Im... -
昔々、こんなことがありました。
標的面に不当な損傷を与えています。
1989年、EASTON ACEを射ち負かした Beman「DIVA+」は、ACEのアルミ/コアシャフトに対し、世界初のオールカーボンシャフトでした。しかし当時の技術やノウハウでは、シャ... -
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消えた「センターマーク」とハンティング
アーチェリーの世界は最新のハイテク先端素材が使われているのも事実ですが、中身をわかって使っているアーチャーは少ないのではないでしょうか。それにモノには相場な... -
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EASTON初めての敗北
インターネットが登場する1990年代終わりまで、世界選手権とオリンピックはメーカーが新記録と共に、新しい商品をデビューさせる最高の宣伝舞台でした。メーカーはこれ... -
昔々、こんなことがありました。
EASTONの焦りと誤算
2023年12月4日、ジム・イーストンが亡くなりました。父、ダグ・イーストンに続いての 、EASTON社2代目のオーナーでした。1989年から2005年までWA(世界アーチェリー連... -
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ホイットおじさんの「Hoyt」終わる
そこでヤマハも、24インチハンドルを基準とするのですが、ヤマハの開発コンセプトの基本にあるのは、「日本人によって世界を制覇する」ことです。そこでHoyt のハンドル... -
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川上源一 1912年1月30日 – 2002年5月25日
当時国内では竹製の洋弓しかなかったのが、アメリカ市場を視察した際に、Howard Hill からもらった弓を持ち帰ったことから、日本のアーチェリーが始まりました。その弓... -
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Earl Hoyt Jr. 1911-2001 Ann Weber Hoyt 1922-2008
ホイットおじさんも、ホイットおばさんも亡くなってしまいました。憧れのEarl Hoyt Jr.、Ann Weber に初めて会ったのは、1976年の全米選手権でした。1982年の全米選手権... -
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HOYT/EASTON
そんな「Hoyt」ブランドにも、大きな転機があったことを忘れてはなりません。1983年、Hoytはホイットおじさんの手を離れます。シャフトメーカーであるEASTONに買収され...