昔々、こんなことがありました。– category –
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ちょっと笑ける写真。
1975年8月、伊那であったオリンピックの1次強化合宿のスナップです。今もこの写真を酒の肴に馬鹿笑いするのですが、、、 -
初めて「ヤマハ」を使う。
1969年4月、同志社高校1年で「洋弓部」に入り、アーチェリーを始めました。クラブ紹介で洋弓部かフェンシング部か、のどちらかに入ろうと思っていたのですが、最初に足... -
1976 Montreal Olympic
1976年 モントリオールオリンピック 優勝 -
時 代
今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果ててもう二度と笑顔にはなれそうもないけど -
安上がりな表彰状とトロフィー
最近の賞状で「栄光を称える」と一言だけ書いてあるのがありますが、これがカッコいいなぁと好きです。 -
「有言実行」のススメ
“Darrell was the fiercest of competitors. He thrived on competition. He was one of those that had all of the confidence in the world and what he said he coul... -
選手にとって最高の栄誉
そんなジム・イーストンを「businessman」や「philanthropist」と呼ぶことはあっても、ダグ・イーストンに対してと同じように敬愛の念を込めて「archer」や「 legend」... -
6年目の自慢
ただの「自慢」です。昔のアルバムの写真を「Photo Album」ということで紹介していますが、そんな写真を見るのは久しぶりです。 -
ロッドを「辺」として、それで作られる「面」を感じる。
1978年 NAAインドア選手権で、ダレル・ペイスが使用したスタビライザーは、彼がコンピュータ解析によって最もトルクが小さく的中精度が高いと自作した「アップサイドダ... -
学習院の夏合宿で聞いたこと 1975/7/23
本数は4本。ハンドル下部が重くエイミング時の安定感。前方に真っ直ぐ飛び出し、フォロースローでも傾かず。左右の安定と方向性、飛び出し感。 -
1975 Interlaken World Championship
1975年インターラーケン世界選手権、アメリカ男子圧勝。ダレル・ペイス3つの世界記録を更新。 -
韓国、最初の一歩。
1974年6月8日。世界選手権には北朝鮮が参加していて、韓国のアーチェリーは影もありませんでした。そんな時に民間レベルですが、招待されて韓国に行きました。たぶんこ...