昔々、こんなことがありました。– category –
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「有言実行」のススメ
“Darrell was the fiercest of competitors. He thrived on competition. He was one of those that had all of the confidence in the world and what he said he coul... -
選手にとって最高の栄誉
そんなジム・イーストンを「businessman」や「philanthropist」と呼ぶことはあっても、ダグ・イーストンに対してと同じように敬愛の念を込めて「archer」や「 legend」... -
6年目の自慢
ただの「自慢」です。昔のアルバムの写真を「Photo Album」ということで紹介していますが、そんな写真を見るのは久しぶりです。 -
ロッドを「辺」として、それで作られる「面」を感じる。
1978年 NAAインドア選手権で、ダレル・ペイスが使用したスタビライザーは、彼がコンピュータ解析によって最もトルクが小さく的中精度が高いと自作した「アップサイドダ... -
学習院の夏合宿で聞いたこと 1975/7/23
本数は4本。ハンドル下部が重くエイミング時の安定感。前方に真っ直ぐ飛び出し、フォロースローでも傾かず。左右の安定と方向性、飛び出し感。 -
1975 Interlaken World Championship
1975年インターラーケン世界選手権、アメリカ男子圧勝。ダレル・ペイス3つの世界記録を更新。 -
韓国、最初の一歩。
1974年6月8日。世界選手権には北朝鮮が参加していて、韓国のアーチェリーは影もありませんでした。そんな時に民間レベルですが、招待されて韓国に行きました。たぶんこ... -
元祖オリジナル ボウスタンド
その昔、アメリカでは「グランドクイーバー」と呼ばれる、地面に付き刺す金属製のボウスタンド兼アロークイーバーがありました。初心者教室だけでなく、世界選手権など... -
言うだけやったら、誰でもできんね。
口で弓射つヤツやら、タダなら何でも使うアーチャーは、履いて捨てるほどいます。っあ、すいません。健常者の話です。 -
電信柱に爪楊枝で挑む
1974年のアルバムから、1967年アメルスフォールト世界選手権の写真が出てきました。封筒もあって、前田栄一郎さんが送ってくれたものです。 -
1973年 イタリア親善大会
ITALIE はいつも JAPON のとなりです。グルノーブルでも同じホテルで、食事もいっしょでした。 -
1973 Grenoble World Championship
男子は90・70・50・30m、女子は70・60・50・30mを各36射×2回=288射を4日間で行い、その合計点で真の世界一が決められました。