| 1994年6月12日、第一回ソウル国際大会において、韓 承勲が30Mで360点のパーフェクトを達成しました。リカーブボウ競技史上初の快挙であると同時に歴史的な瞬間でもありました。そして早速、韓国の新聞各紙は彼のことを「神弓」と称えました。ところがこれとは別に、アーチェリーの世界には「シューティングマシン」と呼ばれる最高の栄誉に値する称号があります。少し前ならダレル・ペイス、金 珍浩に、そして最近では金 水寧に贈られた誇り高き称号です。これからもわかるように、この称号は単なる世界チャンピオンやゴールドメダリストに与えられるものでもなければ、トップに永く君臨したからといって貰えるものでもありません。それが証拠に我々はリック・マッキニーやジェイ・バーズ、そしてセバスチャン・フルートやジャスティン・ヒューイッシュを決して「シューティングマシン」とは呼ばないはずです。 |
| それでは、どのようなアーチャーに対して我々は尊敬と畏怖の念を抱いてそう呼ぶのか。どんな場面においても冷静沈着なシューティングを維持し、寸分違わぬ精緻の技術を持って矢をゴールドに運ぶ、だけでは十分とは言えないでしょう。少なくともシューティングラインの上に人間的なぬくもりや曖昧さがあってはいけません。すべてのアーチャーがそこへの到達の努力を最初から放棄するような「完璧な技」と芸術に値する「美しさ」が備わっていなければなりません。そこにあるのは「機械」を超えるシューティングです。だからこそ、いくらパーフェクトを樹立した韓 承勲といえどもまだそこへの仲間入りが許されないのです。 |
| とはいっても、機械のシューティングマシンの現物を見たことがあるアーチャーは少ないでしょうが、その実物が実際に矢を発射する時は想像以上に簡単であっけないものです。”プン”とストリングが返ったかと思った瞬間には、矢はすでにゴールドへの弾道を飛翔し、ハンドルが勢いよく飛び出すでもなければ、リムは数回規則正しくバタついてすぐにあるべき場所に収まってしまいます。鉄とステンレスでできた不動の押し手、センサーでコントロールされた寸分違わぬ動きを繰り返すリリース。そんな動きを繰り返し見ていると普段生身の人間がシュートしている時には決して見ることのできない、金属のハンドルライザーのたわみさえ実際に見ることができます。それは完璧を絵に描いたようなシューティングです。 |
| ところが、そんな精緻の技術を目の当たりにしていると、不思議なことに自分が退屈していることに気付きます。最初はそれが10点を外す心配のない安心感や、リリースが取られることのない意外性のなさからくるものかと思っていたのです。しかし、そうではなかったのです。一番の原因は、「美しさ」の欠如だったのです。精緻ではあっても決して精悍ではないのです。人間は機械でないからこそ、その肉体を使った芸術に美しさを感じ、感動を覚えるのです。そこにある躍動感、生命力、大きさ、迫力こそが「美しさ」の原点であり、それに心動かされます。 |
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| 近代アーチェリーにおける最大の革命は、道具においては「カーボンアロー」の出現です。1984年ロサンゼルスオリンピックでダレル・ペイスによってデヴューしたプロトタイプは1987年アデレード世界選手権で市販品として花開き、1989年ローザンヌ世界選手権ではついにダレル・ペイスがアルミアローで1979年樹立した1341点の大記録を10年ぶりに1点更新。そしてもうひとつの革命的出来事は、1988年ソウルオリンピックから始まった「オリンピックラウンド」の導入です。それまで4日間288射の合計点数で争ったFITAラウンドが、時間短縮・トーナメント方式へと動き出したのです。そしてこのふたつの革命から10年が過ぎ、現在ではカーボンアローを使わないアーチャーは皆無といえる状況になり、70M3射2分に右往左往する選手の姿だけが目立ちます。 |
| 特に、速く射たなければならないこと。ミスが許されないこと。これらの状況がアーチャーを追いつめています。そして忘れ去られてきたのが、「美しく射つ」ことです。 |
| すでに世界の舞台で予選通過の32人のアーチャーに残るためには、FITAシングルラウンドで「1290点」が不可欠となりました。そして世界記録は男子1368点(1995年6月)、女子1380点(1999年10月)まで到達しました。 |
| 現在の男子世界記録「1368点」は非常に興味深い数字です。今から20年前、ダレル・ペイスが1341点の世界記録を樹立した直後、「あと何点まで出せる?!」の質問に「1360点」と答え、それから10年後のカーボンアロー登場の場面においてもカーボンアローで出せる到達点として「1360点」台を予測しているのです。 |
| この予測が単なる予言でないことを理解するうえで、アーチャーは「意識の点数」について知っておかなければなりません。それは世界記録を目指さないアーチャーであっても非常に重要な問題です。たとえばよく、試合の点数が練習の点数より低くて当然といったことを平然と言ってのけるアーチャーやコーチが多くいます。しかし、これは大きな間違いです。なぜなら1340点以上の記録を目指そうとする時、そのような認識があるなら練習ではとてつもないハイスコアを日々維持し続けなければならないことになります。それにこのような点数になると、いくらカーボンアローなどの最新弓具を駆使したとしても、風や気温をはじめとした外的条件を無視できません。このことは「練習点数」と「試合点数」以前の問題として、「意識の点数」と「現実の点数」の間にズレが存在することを意味しています。 |
| この「意識の点数」を言葉だけで説明するのは難しいのですが、単に自分が出したいと望む願望の点数のことではありません。この点数なら条件が揃えば必ず記録できるという実感が自分の頭と心と身体で理解でき、想像し得る点数のことです。たとえば練習でも試合でも、現実の記録としては1340点台であっても、自分の意識の中ではすでに1360点や1370点が射てている状態のことです。ダレル・ペイスは20年も前にアルミの矢で意識はすでに1360点に到達していたのです。それは条件次第では十分現実の記録となる可能性を持っていたのですが、ただ残念なことに現実には1341点であっただけです。そしてそれから10年、カーボンアローによってダレル・ペイスしか知らなかった未知の世界にやっと数人のアーチャーが現実に足を踏み入れ、そこから10年の歳月をかけて彼の予測を証明したのです。 |
| しかし、ダレル・ペイスをはじめ多くのトップアーチャーが今だに「無風の条件下ではカーボンアローがアルミアローを超える」と言っていないのも事実です。風や雨の悪条件下ではアルミの1240点がカーボンで1270点になることはあっても、無風の1360点がカーボンアローを使うことで1400点になるとは思えないのです。ダレル・ペイスは20年前に1360点を射つこともできました、しかしカーボンアローを使う今も同じということです。カーボンアローは悪条件での記録を飛躍的に向上させ、アベレージアーチャーの多くをトップに近づけ、その中のほんの数人を1360点に導きはしました。しかし多くのアーチャーにとっての意識の点数は昔も今も1360点のままなのです。 |
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| 10年前、世界のひとにぎりのアーチャーは1360点を現実の点数にするべく、弓具の進歩とは別にそのシューティングフォームをマシンに近づける努力を続けていました。ところがオリンピックラウンドの導入は多くのアーチャーに目指す方向を見誤らせた感があります。しかし、いくら弓具が改良されルールが変わろうとも完璧を目指す時、そこにはシューティングマシンの精緻の技術と人間ならばこその美しさが絶対条件となるはずです。世界チャンピオンにラッキーは存在しません。もしあるとするなら、幸運すらも招きいれる実力だけの世界です。 |
| 今一度、「美しく射つ」ということについてアーチャーひとりひとりが考えてみる時期ではないでしょうか。 |
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