互換性という矛盾
1972年ミュンへオリンピック、HOYTは初めてのテイクダウンボウ「TD1」を鮮烈デビューさせました。これを使うジョン・ウィリアムスとドリーン・ウイルバーは、圧倒的な世界記録でゴールドメダルを手中に収めます。
これは驚異的な出来事でした。誰も見たことがない白い金属製ハンドルの弓が、いとも簡単に栄冠を手中に収めたのです。
ここから、木製ワンピースボウの時代が一気に「テイクダウン」ボウへと変わり、1975年ヤマハが「Ytsl」で参戦することで、世界のアーチェリーはこの2つのメーカーが切磋琢磨し合いながら、新しい次元を切り拓いて行くことになります。しかし、その道程は決して平坦ではありませんでした。
現にこの時2人が使った「TD1」はプロトタイプ(試作モデル)で、これだけの実績を収めたにもかかわらず、この後も実戦、実射テストが世界のトップアーチャーによって繰り返されます。そしてグリップ部分からの折損などもあり、グリップ形状をスナップオン形式にした「TD2」によって、本格的に販売が開始されたのは1974年からです。
しかしそれでもこの弓が与えた影響は多大でした。他のメーカーは、HOYTのコピーを余儀なくされたのです。
それまでにも金属製テイクダウンボウはあったのですが、そのほとんどはアルミニュームダイキャストという製法で作られていました。「ダイキャスト製法」とは、溶けた金属を砂や金属で作った型の中に流し込んで、固まったものを取り出す方法です。それまでほとんどのメーカーはアルミを素材としていたですが、HOYTは「マグネシューム」を使用したのです。
アルミよりマグネの方が「振動吸収性」が高いことも重要ですが、何よりも「軽い」素材でした。当時は木製の弓から金属ハンドルへの移行であり、軽さは必須であると同時に大きなアドバンテージとなります。そのため、この後のテイクダウンボウはすべてマグネシュームを素材として作られるようになりました。
しかし現在では製法が変わり、1980年代後半から登場した「NCマシン」と呼ばれるコンピュータで制御された切削機械によって、金属の塊を削り出す製法に変わっています。そして「アルミNCハンドル」と呼ばれるように、アルミニュームを削り出して作られたものがほとんどです。
ただし、これはハンドルに使う素材の特性や必然からきたのではなく、製法やコストからアルミニュームが選ばれたのです。
そして注意しなければならないことがあります。テイクダウンになって最も重要な部分です。それはハンドルとリムの接合方法です。HOYTはそれまでのメーカーのほとんどがボルトや溝を使った固定方法を行っていたのに対して、ネジは使うものの比較的簡単なワンタッチでの差し込み方法を考案しました。
現在は「互換性」という言葉で、異なるメーカーのハンドルとリムを組み合わせて使う「共通の差し込み方式」(ILF)が当たり前のようになっています。しかし当時というか、これも製法がNCマシンに変わる1980年代終わりころまでは、接合方法に互換性はなく、接合方法それ自体が各メーカーの性能の一部だったのです。
HOYTもこのTD1の接合方法を特許で保護し、他メーカーがこの方法をまねることはできませんでした。もちろん、この後登場するヤマハのテイクダウンボウは、HOYTとは異なる独自の「タックレスインサートハブ方式」により、優位性をアピールしました。
メーカーはそれぞれ独自の接合方法を持ち、特にハンドルへのリムの差し込み角度と固定方法は、メーカーの性能や精度、そしてポリシーを決定づける重要な要素となります。異なるメーカーのハンドルやリムが組み合わされることは、メーカーとしてその商品の性能や品質を保証できないことを意味しています。
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