John C. Williams
1920年のアントワープ大会以来、52年ぶりにアーチェリーがオリンピック競技種目に復活したのです。
これによって、近代アーチェリーは「世界選手権」「世界フィールド選手権」そして「オリンピック」が全世界から選手が集まる、頂点を目指すべき最高峰のタイトルとなります。
この後、このトリプルクラウンを獲得したのは、ジョン・ウイリアムスとダレル・ペイスの2人だけです。
当時、メーカーにとって「商品」をPRする場はなく、その必要もない時代でした。ところが1971年以降、ヤマハの世界参戦もあり、メーカーは自社の優位性をアピールする場を求めます。それがオリンピックと世界選手権です。
前年、ヨーク世界選手権の勝利同様、記録の中身もそうですが、この写真を見ただけでも、「ごめんなさい」としか言いようがない射ち方、存在感、そして世界新での圧勝です。
ところがそれだけでなく、この1年でアーチェリーの世界が激変するのです。
ミュンヘンオリンピックは大記録だけではなく、驚きがありました。男女ともに優勝したのは、Hoytのプロトタイプ「TD1」です。アメリカチーム以外、ほとんどすべてが木製ワンピースボウを使う中にあって、金属製のテイクダウンボウが突然デビューしたのです。これは驚異以外の何物でもありませんでした。
それだけではありません。ジョン・ウイリアムスだけがトリプルスタビライザーを使っていたのです。そしてサイトにはインドア競技でしか使われない、エクステンションバーが付いていました。
しかしまだ彼が使っていたストリングはダクロン製で、リムはグラスファイバー、矢はアルマイト加工のされていないアルミシャフトに、硬いプラスチックベインが貼られ、クッションプランジャーもない時代でした。
この後、HoytだけでなくEASTONもヤマハも、世界大会とオリンピックで新しい商品を発表していくようになります。
1972年、ここから時代は変わり、変わっていくのです。