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1973年 グルノーブル世界選手権

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17歳無名の少年

1985年までの「世界選手権」(World Championships)は「ダブルFITA」のルールで行われていました。ダブルFITAとは、男子90-70-50-30m、女子70-60-50-30m各36射を2回、4日間で行う競技です。男子初日90-70m各36射。2日目50-30m各36射。3日目90-70m各36射。最終日50-30m各36射。この4日間「288射」の合計得点で順位を競うものです。
そして団体戦は各国4名の選手が参加し、各チームのダブルFITA上位3名の合計点数で争われます。

昔の古いアルバムから思い出しながらというか、「Aiming for the Best」に書ききれなかった
行間を写真と共に埋めていこうと思います。

ダレルとの最初の出会いは「Aiming for the Best」の最初に書いたように1976年の全米選手権ですが、この写真はアルバムの中にある最初にダレルを撮った1枚、1973年のグルノーブル世界選手権に参加した時のスナップの1枚です。集合写真を除けば76年までで最初で最後というか、彼を写した写真はこれ以外にはありません。


その理由は当時、自分の中で彼はまったくの無名だったからです。この写真も、初日がキャンセルされることを聞かされる前、前日の開会式のために各国の代表が集合している時のアメリカチームを写したものです。とはいっても、ダレル・ペイスは知りませんでした。誰を撮ったかというと、一番左がラリー・スミス、そしてスティーブ・リバーマンに一番右がエド・エライアソンです。雑誌でしか見たことがなかった錚々たるメンバー、彼以外は名前を知らない方がおかしいでしょう。
17歳の少年を知らなかった理由は、この大会の結果を見ても明らかです。アメリカは個人の金メダルは逃したものの、リバーマンが銅メダル、そして団体では金メダルを獲得しましたが、ダレルはその3人にも入らず初めての世界選手権は「23位」に終わっています。

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