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17歳と19歳の無名の少年

初日90m1回目の6射。1位 TAKASHI(1st Nameの登録間違い)JPN 53点
6位 PACE USA 47点
1985年まで、世界選手権もオリンピックも「ダブルFITA」のルールで競われていました。288射を4日間射って、その合計点数で順位が決まったのですが、そのダブルFITAの歴史の中で唯一1973年のグルノーブル世界選手権だけがイレギュラーでした。
台風(?)が近づく中、前日の昼に初日の試合がキャンセルになることが決定したのです。残る3日間でダブルFITAで行うというのです。1日目男子90-70-50-30m144射、2日目90-70m72射、最終日50-30m72射の合計288射です。ダブルFITA3日での実施は、オリンピック、世界選手権史上はじめてのことです。


軍隊が集計などを手伝っていたので、大雨の中、一日で足場に板を敷き、2日目から試合は行われましたが、とんでもない大風の3日間でした。
当時はまだアルミアローにワンピースボウの時代で、ストリングはダクロンです。
この試合はもちろんですが、この試合まで「288射」すべてヒットした(0点を1射も射たなかった)
世界チャンピオンはいなかったのです。
この前年の1972年ミュンヘンオリンピックで優勝したジョン・ウイリアムスも、信じられないことですが、4日目の50mで0点を射っています。それでもオリンピック新記録です。
世界選手権初出場の17歳、1回目「47点」6位、288射「1054+1000点」23位。
19歳、1回目「53点」1位、288射「1080+1014点」12位 でした。
ちなみに優勝はソ連のシドルーク「1117+1067点」です。