1262点 日本新記録


あれから5年、中本さんが樹立した世界記録を更新しました。大学3年、出るとも出せるとも思っていなかった試合で、昼休みの弁当が緊張してのどを通らず、椅子の背もたれに立ったままもたれて食べたことしか覚えていません。
いつものあの引き直しで、心臓破裂しそうになってやっと出して、夜に梶川さんとこに電話してきたのに、、、手島さん、ゴメン。
下が2週間後の「川上杯」の1261点(296・321・314・330)。それにしても、今見るとごめんなさいですよね。サイコロ振るアーチャーにはわからないでしょうけど。
ところでこの時の「世界記録」はというと、中本さんの世界記録「1252点」は、1972年ミュンヘンオリンピックでジョン・ウイリアムスが「1268点」(289・319・322・338)で破っていたのですが、1974年の全米選手権でとんでもない世界記録が射たれます。ダレル・ペイスが「1291点」(303・314・326・348)を射ちます。
そして1年後、1975年の全米選手権では歴史的な世界新記録が樹立されるのです。誰も射ったことのない1300点台、「1316点」(309・333・327・347)がまたもやダレルによって記録されるのです。


この頃はまだインターネットもなく、海外の試合結果は遅れて新聞で届く情報しかない時代です。そこで質問です。
1975年6月はインターラーケン世界選手権の年です。この大会でダレルは1266・1282を記録して2位を90点引き離して、初めての世界チャンピオンになります。ところが前年までのダレルはトリプルスタビライザーだったのが、この試合では「ハンドルから左右にロッドが出ている」という情報だけが、写真もなしに聞こえてきたのです。
「Vバー」を知らない(この世の中には存在しない)として、あなたはこの情報でどんなスタビライザーを思い浮かべますか??!
朝から晩までアーチェリーのことしか考えてない大学3年生が思いついて、知り合いの鉄工所に図面を渡して作ったのが↑このスタビライザーでした。Eagle-Kもですが、左右の安定はもちろんですが、狙っている時の安定感とそれでいて射った時の飛び出し感を考えて作ったのがこれです。
Vバーの発展形がエクステンションロッド(マッキニースタイル)ですが、それがすべてでは決してないのです。とは思いませんか?