昔々、こんなことがありました。– category –
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やじろべえ
1971年4月11日、高校3年の春です。ヘンなところに「Vバー」を付けて、と思うアーチャーもいるかもしれませんが、Vバーが登場したのは1975年のインターラーケン世界選手... -
1970年 全日本選手権大会
1970年11月全日本選手権、大阪長居の陸上競技場で行われた大会に参加できたことの感動ではなく、凄い点数に立ち会えたことへの感動でした。「1234点」日本新記録樹立(2... -
1970年 インターハイ
伊藤選手が凄かったのは、この時初めて高校記録が「600点」を破ったのです。高校生にすれば、憧れで驚異的な壁でした。社会人でいえば「1200点」の壁と同じです。 -
Hardy Ward (USA)
偉大なる世界チャンピオンのひとりです。1949年テキサスに生まれ、5歳の時にアーチェリーを始め、1966年16歳で全米タイトルを獲得。1969年、世界初の1200点台を記録し、... -
盲目的なルールの適用と常識的なルールの適用
盲目的なルールの適用と常識的なルールの適用の違いについて、簡単な例を挙げてみたいと思います。警察官が時速 100 キロ以上でスピード違反しているドライバーを停止さ... -
無礼者、だれの矢ぁや思てんねん。
もし、試合中にグランドクイーバーに置いてあるあなたの弓を、他人が勝手に持ち上げて引いたとしたら、どうしますか?まさか、あなたが他人の弓に対して、そんな無礼な... -
なぜ、あなたのポイントは「砲弾型」?
昔、アルミアローの時代、ポイントは長い間「△屋根型」でした。それが1980年代に入って、EASTONは長く使われてきた屋根型ポイントをすべて廃番にして、「NIBB」(New Im... -
標的面に不当な損傷を与えています。
1989年、EASTON ACEを射ち負かした Beman「DIVA+」は、ACEのアルミ/コアシャフトに対し、世界初のオールカーボンシャフトでした。しかし当時の技術やノウハウでは、シャ... -
消えた「センターマーク」とハンティング
アーチェリーの世界は最新のハイテク先端素材が使われているのも事実ですが、中身をわかって使っているアーチャーは少ないのではないでしょうか。それにモノには相場な... -
EASTON初めての敗北
インターネットが登場する1990年代終わりまで、世界選手権とオリンピックはメーカーが新記録と共に、新しい商品をデビューさせる最高の宣伝舞台でした。メーカーはこれ... -
EASTONの焦りと誤算
2023年12月4日、ジム・イーストンが亡くなりました。父、ダグ・イーストンに続いての 、EASTON社2代目のオーナーでした。1989年から2005年までWA(世界アーチェリー連... -
ホイットおじさんの「Hoyt」終わる
そこでヤマハも、24インチハンドルを基準とするのですが、ヤマハの開発コンセプトの基本にあるのは、「日本人によって世界を制覇する」ことです。そこでHoyt のハンドル...