昔々、こんなことがありました。– category –
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EASTON初めての敗北
インターネットが登場する1990年代終わりまで、世界選手権とオリンピックはメーカーが新記録と共に、新しい商品をデビューさせる最高の宣伝舞台でした。メーカーはこれ... -
EASTONの焦りと誤算
2023年12月4日、ジム・イーストンが亡くなりました。父、ダグ・イーストンに続いての 、EASTON社2代目のオーナーでした。1989年から2005年までWA(世界アーチェリー連... -
ホイットおじさんの「Hoyt」終わる
そこでヤマハも、24インチハンドルを基準とするのですが、ヤマハの開発コンセプトの基本にあるのは、「日本人によって世界を制覇する」ことです。そこでHoyt のハンドル... -
川上源一 1912年1月30日 – 2002年5月25日
当時国内では竹製の洋弓しかなかったのが、アメリカ市場を視察した際に、Howard Hill からもらった弓を持ち帰ったことから、日本のアーチェリーが始まりました。その弓... -
Earl Hoyt Jr. 1911-2001 Ann Weber Hoyt 1922-2008
ホイットおじさんも、ホイットおばさんも亡くなってしまいました。憧れのEarl Hoyt Jr.、Ann Weber に初めて会ったのは、1976年の全米選手権でした。1982年の全米選手権... -
HOYT/EASTON
そんな「Hoyt」ブランドにも、大きな転機があったことを忘れてはなりません。1983年、Hoytはホイットおじさんの手を離れます。シャフトメーカーであるEASTONに買収され... -
そこに愛はあるのか?
では、タダなら何でも使うのかというとき、「そこに愛はあるのか?」という疑問が残ります。プロフェッショナルは、金さえ貰えば使う。金のためなら使うのがプロです。... -
世界初の白塗りカーボンリム
世界初の「カーボンリム」が登場したのは、いつか? というと、1976年のモントリオールオリンピックです。まだインターネットのない時代、新商品を宣伝する最大の舞台... -
あの時君は白かった
ここで始まったアーチェリーは、テニスの全英選手権同様「上衣はアーチェリー競技のユニフォームとして適したものであり、下位は男子は白のスラックス、女子は白のスカ... -
競技者規定
第5条 本連盟の加盟団体は、次に掲げる者を会員とすることは出来ない。 尚、既に会員であっても、次に該当した場合は会員を取り消さなければならない。(1)いかな... -
Powerd by KAMEI
ことの発端は、2000年9月に実施された「第14回ヤマハカップアーチェリー大会」での出来事でした。全ア連はリムに「KAMEI」の名前があるという理由で、試合への参加を拒... -
「原点を忘れないために」
YKはヤマハ-カメイ、そして2002年を表しています。この年は、ヤマハがアーチェリーの世界から完全撤退した年で、それを忘れないために作ったリムです。あれから22年が...