Eagle-K その背景(5)

「テイクダウンボウはいつからあるの?」

アーチェリー競技で、現在我々が使っているような「テイクダウンボウ」と呼ばれる分解式の弓が使われるようになったのは、1972年のミュンヘンオリンピックからといえます。このミュンヘンオリンピックは、アーチェリーが52年ぶりにオリンピック競技に復活した記念すべき大会でもあり、その初代ゴールドメダリストとなったのが、男子はアメリカのジョン・ウィリアムスと女子はドリーン・ウィルバーでした。ふたりは、Hoyt初のテイクダウンボウ「TD1」で、驚異的世界記録とともに栄冠を獲得したのです。

実際この年までほとんどの選手が、「ワンピースボウ」と呼ばれる分解のできない木の弓を使っていました。ジョン・ウィリアムスが前年のヨーク世界選手権で優勝した時も、その時の女子優勝のソ連のキャプチェンコも木製のワンピースボウです。そしてミュンヘンでも、アメリカチームを除くほぼ全選手といってよいほどがワンピースボウを使用しています。
このオリンピックの後、世界は「テイクダウンボウ」の時代になったのです。

では1972年以前にテイクダウンはなかったかというと、そうではありません。ミュンヘンオリンピックでの2人を除くアメリカチーム全員が、Black WidowやBear社の最新テイクダウンボウを使用しています。Hoytはテイクダウンにおいては後発メーカーでした。

Hoytはすでにワンピースボウで世界を制してはいましたが、まだまだ独断場とまでは行かず、アメリカの巨大なハンティング市場の中にあって、多くのメーカーがテイクダウンに次の時代を予感していました。ただし、まだまだ試行錯誤の時であり、木製の分解できる弓や、2分割のもの、金属製であっても分解しないタイプのものなど、さまざまなテイクダウンボウが作られていました。

しかしどれもが性能(精度や重量)的に劣っていたことや、アウトドアや世界選手権での実績がない中、多くのメーカーは競技用リカーブボウから離脱して、1969年に発明されたコンパウンドボウへとシフトしていくことになります。

ミュンヘンでのHoyt「TD1」は完全なプロトタイプ(試作品)でした。我々にすればまだ公表も市販もされていない白い金属製の弓を初めて目にしたのは、大会から数日経っての新聞紙上でした。その時同時に登場したのが「エクステンションサイト」と「トリプルスタビライザー」です。

インターネットのない時代、世界選手権とオリンピックだけが唯一新しい商品を発表する場であると同時に、その性能を世間に知らしめる最善の機会でもあったのです。
1975年世界選手権では「ケブラーストリング」と「Vバー」、1976年オリンピックでは「カーボンリム」、、、そして最大のものが1989年世界選手権での「カーボンアロー」の登場であり、これらどれもが驚異的な世界記録とともにアーチェリーの世界に革命をもたらしました。

1972年、それはテイクダウンボウのデビューと併せて、近代アーチェリーの始まりだったともいえるでしょう。
そして、テイクダウンという弓をプラットフォームとしてこの後に多くのハイテク素材、最新の道具が登場してくるのです。

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