John C. Williams
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この雑誌広告を覚えているアーチャーもいるでしょう。ジョン・ウイリアムスが東京で行ったデモンストレーションの時の写真です。大阪では確か今はなきホテルプラザの室内で行われ、見に行きました。何のデモかというと、ここに書かれているとおり「Wing」社の宣伝であり、使っている弓は「CompetitionⅡ」です。(後ろには懐かしい人も写っていますが。)
今のアーチャーには説明が必要でしょうが、1988年までは厳格に「アマチュア」という言葉がスポーツの世界には存在しました。アーチャーはメーカーのロゴやステッカー1枚貼ることも許されず、ましてや商品の宣伝活動など行えば、アマチュア資格をはく奪された時代だったのです。
そんな世界で1973年のインドア、Desert Inn Clasicまで一貫して「Hoyt」の弓を使ってきたジョンが、なぜこの夏からWingの弓の広告に登場したり、そのPRにわざわざ来日したのかと言うと、彼はリカーブ(NAA)の世界で初めて「プロフェッショナル」になることを宣言したアーチャーだったからです。
数々のタイトルを獲得、世界記録を樹立し、1971年ヨーク世界選手権、1972年ミュンへンオリンピックで世界の頂点に立ち、アマチュアの世界をすべて制覇した者にとって、残されたのはプロフェッショナルの世界しかなかったのかもしれません。
誰もが1973年のグルノーブル世界選手権に来るものと思っていたのですが。。。
1973年全米選手権、Wingを使うジョンは7位に終わったものの、大会後、試合場でWing社社長ボブ・リーが見る前でプロ契約にサインをするのです。
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この後1980年代にはヤマハとも契約を交わし、こちらの広告を覚えているアーチャーは多いでしょう。
そして1984年ロサンゼルスオリンピックでは、ホイットおばさんと共にUSチームのコーチとしてアメリカに再びゴールドメダルをもたらします。
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後ろで双眼鏡を覗いているのはホイットおじさんです。
ジョンに限らず多くの世界チャンピオンがHoytを使ってきましたが、彼らは裏でHoytと契約をしたり金銭を受け取って使っていたのではありません。Hoytおじさんはプロを雇いませんでした。ジョンを含め、多くのアメリカのアーチャーはHoytの弓の性能と、ホイットおじさんホイットおばさんが好きでHoytを使ってきたのです。
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